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札幌テレビ放送制作特別番組「大空と大地の中で」をNTV系全国16局オンエア 12.23

【特集番組】
 札幌テレビ放送制作特別番組  15:45~17:10

 STVをキーステーションに全国16局オンエア
 ▽2万人コンサート「ビッグ・サマー・シーン’79大空」
 ▽’79秋コンサートツアー「失くした心を」ほか

STVをキーステーションにNTV系全国16局でオンエアされた。
札幌テレビ放送特別番組・オフィスパンタ制作
夏のイベントから千春を様々な角度からカメラが追いかけ、その魅力を余すところ無く収め、ドキュメンタリータッチに編集された作品。この時テーマ曲に使われたのが、1年後のアルバム「木枯らしに抱かれて」に収録された「悲しい時には」だった。
●使用曲
大空と大地の中で
時のいたずら(ビッグサマーシーン’79 「大空」7/28真駒内)
空を飛ぶ鳥のように野を駆ける風のように( 〃 )
卒業(コンサートツアー’79「失くした心を」10/17網走市民会館)
帰郷

足寄より(コンサートツアー’79「失くした心を」10/18紋別市民会館)
父さん(コンサートツアー’79「失くした心を」10/18紋別市民会館)
旅立ち(コンサートツアー’79「失くした心を」10/28函館市民会館)
夜明け(コンサートツアー’79「失くした心を」10/28函館市民会館)
生きがい(コンサートツアー’79「失くした心を」10/28函館市民会館)

独占プロデュース
《大空と大地の中で》

 ~ 1978年 ~
       
以外に北海道でねすごい受けてしまって、だって言われたもんね、あの~レコード会社の人に。「松山君、北海道に親戚は多いか?」ってねえ言われて、俺は非常にビックリしたわけですけどね。そうやってね旅立ちがど~っと売れてそれで一応みんなに名前をね、北海道でやっと名前を知られるようになってきたわけだけど、それから竹田さんがね今度はそれじゃあ深夜番組やってみないかっていうことで「アタックヤング」というそういう番組なんですけどね。それを持たされましてね、今でもやってるわけですけどね。

STVラジオで月曜の夜中ですね火曜の朝やってるわけですけどね、午前0:00丁度分かれ目なんですけどね、まあその深夜放送やりだしてね、それであの初めは足寄のスーパースターってね
そういうふうに言ってたんだけど、だんだん北海道のスーパースターとか言われるようになってきてね。

あれ気分悪いもんじゃないですよね、意外にね。で、初めの内は親父やおっ母もね「バッカ、何やってんの」 ね、そういう雰囲気でもう外に顔出すの恥ずかしいじゃない、なんかそういう事だったらしいんだけど、ここまでくるとねなんか親父方も急に俺に入れ込んだりなんかしてね「頑張れ」とか言ったね、そういう雰囲気でね親父方も協力してくれてね、まあそういうふうになってった訳ですけどね。そして、6月にねあの~LPと2枚目のシングルを出したんですけどね、え~かざぐるまって曲なんですけどね。これは、やっとなんていうかな~全国的にあの認められるようになってきたそんな状態のきっかけの曲だった。

♪ かざぐるま ♪

去年の6月25日に「かざぐるま」というシングルとそれとLPでね「君のために作った歌」というこの2枚を出したんですがね。けど、LP作る時はねさすがにあの~ビックリしたですね。もうあせっちゃってねえ。気ばかりあせっちゃってねえ、声が出てこないんだものだいたいねえ。だからあのギターね弾くような格好してみたりね、それとか箒を持ってねギターの様にやってね、つま弾いてねそして唄ってみたりね、いろいろな苦労をしたわけですけどね。

けど、ほんとLPっていうのはね、ん~こん時は確か12曲ね、12曲入ってるんだけど。あの選曲が難しくてね意外に、いっぱい曲はあるんだけどね、あの~あの頃は丁度100曲ぐらいかなそのぐらいあったんだけど、その中から12曲選ぶっていうのがね非常にねえ、難しい作業でね。

だってあの、俺なんかほらこの一枚で終るんじゃないかそういう危機感があったからね。だからいろんな曲も入れたかったしね。だからもうこの一枚に出来れば100曲全部入れたい、そういう雰囲気だっんでね、だから12曲入れるなんて非常に面倒な作業だったわけですけどね。

それじゃあこのLPの中からね、是非一曲聴いてもらいたい曲があるんですけどね、え~まあ俺はずっと北海道でねえ生まれて育ってたわけですけど、そん時つくづく思ったのはね、なんか自然っていうのは非常にでかい、でかいっていうかねばかでかいわけ。例えば俺の近くに俺ん家の近くにね阿寒っていう雌阿寒、雄阿寒っていう山があるんだけど、あいつらでっかくてね、俺がいくら立ち向かってもねあいつら寝っころばないし非常にでかいなあと思ってね、つくづく感じて、まあ人間なんてね小ちゃな事に悩んだり小ちゃな事で苦しんだりなんかしてそれがねとってもかえって人間らしく見えたりなんかしてね。だから苦しんだりね悲しんだりするのもう止めようなんか思ってね。でなんかこういっつもね言い訳ばっかりしてるようなそんな気がしてね、もうそんなもんは今日限りだともうほんと題名の通りね、そんな曲を作ったんです。「今日限り」聴いてください。

♪ 今日限り ♪

1月にデビューして、で6月にもうLPが出来たっていうのは、とっても俺は幸運だったんですね。そしてあの去年の8/8日札幌厚生年金でねコンサートやったんですよね、それが俺のコンサートの初めての有料っていうかお金をとって見せるコンサートとしては初めてのコンサートね。それまでほんとに俺一回もコンサートっていうのね有料コンサートっていうのやったことなかったんですよね。

ただあの、あれいつ頃だったかなあ、足寄で一回やったなぁ。自分の故郷でね一度、10円コンサートというのをやってね。非常にうけた思い出がありますけどねそれ以来ねほんとにコンサートっていうのはねぜんぜんやった事なかった。

こんなとこでほんとに俺ね、コンサート開いて入るんだろうか非常に心配だったんだけど、ビックリしたもんねえ、蓋を開けて見るとねえ、すごいびっしりでねえ。ほんと俺あの時嬉しかったねぇ。竹田さんとねその前に5月頃だったかなあ、ハイファイセットのコンサートがね同じ会場であって、それで竹田さんと俺とそれともう一人横山っていう友達と三人で見に行った。ね、で竹田さんが「千春、今度はお前がここ一杯にしような」ってねえ、そうやって三人で「じゃあ、頑張ろうね」なんて言ってたわけなんだけど、それがねたった三月余りで実現しちゃって、俺ほんとあん時はビックリしたわけなんですけどね。

それで8日の札幌厚生年金を皮切りにね、北見・釧路・函館・帯広、転々と道内8箇所やったわけなんですけどねその途中に、え~絶対忘れもしない日なんですけどね、8月27日ね、丁度函館でコンサートがあったわけなんですけどね、その時丁度待ち合わせをしてたわけ竹田さんとね。あのSTVっていうラジオ曲でね竹田さんと、明日函館ですから一緒に行きましょうとか言ってね。じゃあ行くからなってね、朝10時に待ち合わせして、それから函館行こうって事になっててね。

で、俺はね、10時にSTV行ったわけ。したら、守衛のおじさんがね「松山くん、竹田さん亡くなったよ」って聞かされたわけ。

で俺は当然悪い冗談だなと思ったわけ。「嘘でしょう?」って言ったわけ。したら「いや、ホントだ」って言うわけ。みんなでかついでるんだな~と思ってね俺はね早速あの~レコード室ってとこへ行ったわけ。したらみんながね、なんか雰囲気違うんだよね、いつもとね。いつもだと「おはよ~ございます!」ねえ、したら「おはようございます!」なんて声が返ってくるんだけどぜんぜん雰囲気が違うわけ・・

「あっ、やばい~」と思ってね、そして竹田さんが急に亡くなったってことね知らされて、それでもまだ俺は信用できなくてね。で、コンサート函館であるんだけどとにかく竹田さんとこへ行ってみなきゃ、それまで信用出来なくてね。絶対嘘だと思ってね。で、とにかく車でね竹田さんの家行ったらね、白い布がかぶさってたんでね、あーほんとなんだなと思ってね。

あん時はもうショックなんてもんじゃなかったですね俺みたいな田舎者をどこが良かったのかね、目つけてくれてラジオで唄わさしてくれて、でレコードまで出さしてくれてね。その人が36歳だもんね、それで急に亡くなるなんて・・絶対信じられなかったもんね。
                              
竹田さんと、まあ出会った時も喧嘩だったしね。俺もやっぱりね「なにが!」なんかねすごいか~っとしちゃうタイプだからね「なに、俺のことなんかわかってないんだ」なんかねそういうふうに思って、すぐつっかかってく、もうね。で、竹田さんもね頭からこう、あの人もがんと決めたらねやり通す人だからね、もう怒るわけ。そいでよく二人で喧嘩した覚えありますけどね。あとで聞いた話だけど、そんな喧嘩した時なんかね、あの俺の友達で坂本さんって人がいるんだけどね、その人のところに電話かけてね「どうも若い奴の気持ちがわかんない、千春の気持ちがわかんないからどうなんだ?教えてくれ」ってね電話してたっていうの聞いてね・・今考えたら、ね、若気の至りっていうかねえ、バカだったなってつくづく思うわけですけどね。

竹田さんっていうのは常に俺の事をね、一番心配してくれてた人でね、「お前はずっと足寄で唄ってれ、ね、東京なんか出てく事もないし、お前の好きな北海道で足寄でずっと唄ってれ、その為に俺いろんな事してやるから」そうやって言ってくれてね、今でもそれを守ってね、出たくないしね、ずっと足寄に居てね唄ってこうと思ってるわけなんだけど、竹田さんという人に巡り会ったことで今の俺があるんでね、竹田さんには感謝しても感謝しきれない、だから絶対恩返ししようと思ってたんだけど、竹田さん急に亡くなっちゃったしね・・

俺がレコード出す時ね、お前をこういう商売に入れたのは俺だから、最後まで面倒見るからなって言ってたのにね。あんまり涙はっていうか、泣き虫じゃないんだけどね、あんまり泣いた事ないんだけどね、あんときなんでこんなに涙出るんだろうって思うぐらいね、どんどん出てくるんだよね。それで北海道のみんなにもいろいろと迷惑かけたりなんかして・・

そんな中で、竹田さんと夢だった東京でコンサートを開く事が出来たんですよね・・あれ11月16日か。竹田さんと二人でね「よし、北海道でコンサート終ったら今度はね東京に
殴りこみだな」なんかね・・言っててね・・それが11月16日ねえ、ついに実現した訳だけど・・最初の方良かったんだけどねえ・・最後の方になったらねえ・・竹田さんの事ちょっと口に出したらね・・もうダメになっちゃってね・・満足に唄えなかったんだけど・・そんな時嬉しかったのがね、ほんとあん時は嬉しかったね・・東京の人達がね、旅立ちを唄ってくれたんだよね・・俺、だらしなくてね唄えない状態だったんだけど・・みんなね、俺に代わって唄ってくれたっていうのがね・・とっても嬉しかったんですよね・・

【 出来れば・・東京でコンサート開いたってことをね・・ 見せてあげたかった・・・ 】

(11月16日の東京コンサートのLIVE)
♪ 旅立ち ♪

【 どうもすいません 】

非常にだらしないんですけどね、もうほんと自分でもどうしようもなんない状態でね。そんな中でいろんな人からねほんと声援もらってね、こんなことじゃいけないな、きっと竹田さんもね・・竹田さんに笑われるなあと思ってね頑張ろうって、そんな中であのオールナイトニッポンこの話がきたんですよね。オールナイトニッポンの2部ねえ、木曜第2部なんですけどね、これをやってみないかって言われて非常に俺も不安定な時でね、どうようかなって迷ったんだけどこうなりゃヤケクソね、ほんとに東京をねもうほんとに荒らしに行ってやろうと思ってね、そいでオールナイトニッポンやりますってことでね、始まったわけですけどね。

あれは、10月でしたっけね。10月からオールナイトニッポン木曜第2部をね担当してきたわけなんですけどね、そのうち大分ねあの心も落ち着いてね、よしこの調子でねやってやろうって雰囲気になって、そんな時にレコーディングの話があって、で3枚目のシングルになるわけですけどね、ま、竹田さんはこれを聞いてないんですけどねえ、時のいたずらっていう曲を出したんです。

♪ 時のいたずら ♪ 

こうして、まあオールナイトニッポンなんかやり始めたんでね東京へ出る機会っていうのが多くなってきたんだけど、俺はもう絶対ね、あの~北海道に住んでいたいと思ってるんですよね。ダメなんだよね、俺ねえ。あの~例えばレコーディングでねえ、一週間東京に居るそんな時でもねえ、もうもう一日二日経ってもね「あ~もうダメ。帰りたいな」ってそういう雰囲気になってね、ひどい時には千歳から羽田に着いた時に「さあ、帰ろう」そういうねえ、気分になるわけですけどね。どうしてもねえ、住む気にはなれないですねえ、東京にはねえ。

やっぱり、いろんな人間が居るからねえ、あの東京でねえ、東京が住み易いって言う人もいるだろうし、俺はやっぱり合わないですね。俺みたいな人間は、田舎もんだからかね垢抜けているとは思うんだけどね、どういうわけか東京にはあの~なんか合わないみたいね。

どだい俺北海道が好きだしね、あのでっかいね自然の中が好きだしね、やっぱり俺は東京には絶対出てくるべき人間じゃないなと思ってね、つくづく思ったわけですけどね。その時作った曲「帰ろう」って曲なんだけどそれを今日はね、あの、もうギター持ってきてるからね唄ってみたいと思います。 

♪ 帰ろう ♪(ギターでの弾き語り)

俺は今でもね、あの北海道の片田舎の足寄っていう所に住んでるわけですけどね、やっぱりいろんな人からね東京へ出て来いとか、そういうふうに言われるんですけどねえ、俺やっぱり北海道で唄ってるわ。いろいろねえ難しい条件もあるかもしんないけどねえやっぱり俺北海道で唄ってるのが自分に一番合ってると思ってね。だから、この場を借りて北海道のみんなにねえ、そして数少ないとは思うんだけどね、全国のねファンのみんなにね。俺やっぱりずっと北海道で唄ってますから。

で、思うんだけどさ、どうせさあ生きてて苦しむんならさあ、自分のやりたいことやってさあ苦しんだ方がいいと思うんだよね。後悔したくないしさ一回しか人生なんかないからねえ、後悔したくないし。だからね、ずっと北海道の山の中でねコンサートやなんかは全国各地行くけどねやっぱり住みかは北海道の片田舎でね、一生唄っていたいと思うんですよね。だから、唄えるだけ唄ってます。

♪ 大空と大地の中で ♪

独占プロデュース60分「大空と大地の中で」松山千春がお送りしました。
「ありがと~」

とかち新聞 昭和54年11月15日発行 868号より

テレビ出演の真意 1979年12月23日放送
『カメラの前で歌うのは、ザ・ベストテンで言ったとおり、オレには苦手で本意ではないと今でも思っています。ただその中であの番組に出てから色々反響があって、よくやったという人、コンサートに行けない地方の人、行きたくても行けない田舎の人たちからどうしたらよいだろうというお便りを頂き、いろいろ考えた結果、STVから時間をやるからどんな番組でもやりたいならやってみろという事になり、自分達がどんな行動をしているか、日常生活から、松山千春がなぜコンサートを大事にしているのか、コンサートってどんなにいいものか、みたいな所を、撮ってもらおうということになりました。』

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