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STVラジオよりデビュー25周年記念「季節の旅人〜3時間スペシャル」生放送。01.27

 1月27日放送分より①(11:00~12:00)

♪ 松山千春 デビュー25周年記念 季節の旅人3時間スペシャル ♪

   ♪ 大いなる愛よ夢よ (82年 真駒内屋外競技上ライブより )♪

進行役 STVラジオ 熊谷明美

【 松山千春、′75 全国フォーク音楽祭・北海道大会に出場したことがきっかけとなり、1977年1月25日 〔 旅立ち 〕でデビュー。フォーク第3世代としてニューミュージック変革期の原動力となると共に 年間およそ70本のコンサートを活動のベースに 新しい時代のフォークーを提唱し続けてきた。何事にも常に前向きであることを信条とし、〔 歌は心だ 〕という歌い手としての信念を25年間貫き通している。そして 今、〔 松山千春の新たなる旅立ち 〕が 始まる 】

          ♪   宇宙のはるか   ♪

『皆さま たいへん長らくお待たせしました。ず~っとオープニングからですね ひょっとして これ 松山がでる番組なんだろうか? でないんだろうか?みたいなね形だったと思うんですけどね、私 ちゃんといたんです。今日はですね STVさんがですね わざわざ3時間もさいていただいてですね 私の25周年を祝ってくれるような番組を作ってくれるということで。私は できれば控えめ 控えめみたいな形でいようかなあ』『熊谷が お前が 仕切りだよ、仕切り!』「お任せ下さい」。
(熊谷アナは 千春さんがデビューの年に生まれました)

イントロの部分で「きゃ~~!!」と言っていた女の子が 今は主婦であったり 子育てに一生懸命で、そしてこの番組を聴いていらっしゃる人もいるのではないか。今日は 3時間、アマチュアの頃から歌い続けてきた今日までの事を一生懸命話したい。
「今日この番組の中でお届けする曲は 全てこれまでのライブ コンサートの中からお送りします」

〈 葉書き 〉
☆旭川・アキコさん・・・
25周年 おめでとうございます。今日は 3時間番組どういう風に進めて行くのか  すごく楽しみ。ドキドキしています。頑張って下さい。今年は明るい年になるといいですね。いい男 千春さんへ。

『要は 3時間に薄めただけ~』「うすめちゃったんですか?」
『俺はSTVに26年から7年お世話になってたりなんかするわけだ。そして自分がこうやってプロとしてですよ 今でもこうやって歌っていられる なあ、まあ皆さんの応援があってですねやってられるわけだけど、まあ感謝を込めましてですねいろんな番組作りをしたいと思いますしね 又 皆さんから 今これ生放送でやってますからね、え~今 何時だ? ん? 熊谷』「11時9分と40秒です」
『もう凄いもんな。いかにも生って感じがするだろう』(笑)

スタッフも陣取っていてくれている。
今日は キタガワさんの息子さんの結婚式。クボタが結婚式に出席する途中で 俺からのご祝儀を受け取りに寄ってくれた。あの衣装は25周年のお祝いの衣装ではない。カメイは 自分の子供達と家庭内ワークシェアリングをやっている。(笑)
『STVのスタッフの方々にたくさん見守られながらですね 最後まで頑張りますんでよろしくお願いします』

【今日のプレゼント】
◎ 明け荷(あけに) 1名
竹と漆を塗った和紙で作った明け荷に 松山千春と松山家の家紋が かかれている。
(明け荷・・関取専用の荷物入れ。化粧回しや浴衣 タオルなどを入れる。竹で編んだ後 上から和紙を貼り漆を塗り固めた丈夫な籠。側面に関取の名前と紋がついている そうです)

◎ 昨年のコンサートのパスカード パスケース  5名
『去年は2001になってたんだろう。それを2に偽造するかどうかだな(笑)。はたしてそこまでやる価値があるかどうかの問題だけだわな』
『俺のは 〔 本人 〕と書いてある』(’’*)
スタッフが首に下げているものだが 昨年のものだから これを下げていても 中には入れません。スタッフ用を綺麗にして プレゼント。
『ミキサーのウエヤマは 10年くらいやってるからアゴで使われたも。(パスは)そこにあるだろう そこに。たまらんなあ(笑)。お前 ウエヤマ!この野郎!』

「松山千春さんとの思い出! 我こそは真の千春ファンだ! 千春さんに影響されたこと! 貴方のおかげで私こんなになっちゃいました!・・と どんなメッセージでもかまいませんのでお寄せ下さい」。電話 FAX メール受けつけます。

【さて 今度は松山千春君です。松山君は足寄町から車で7時間かけてやってきてくれまして、19才。十勝新聞社に勤めています。ギターを手にしまして4年と5ヶ月。オリジナルは20曲から30曲くらい。なお、皆さん注目のスタイルでありますが 本人に言わせますとこれがステージ衣装であります。まあ今年は 彼 このスタイル、柄にもなく冬に味わった辛い別れを歌いたいそうです。じっくり聴いていただきましょう。オリジナルで〔 旅立ち 〕です】 (司会はSTVの喜瀬アナです)

             ♪  旅立ち  ♪
75年 スポーツセンターで行われた全国フォーク音楽祭・北海道大会から。
(荒っぽさを感じますが とても初々しい千春さんの歌声です)

「ざわ~~っとしますか?千春さん」
『やだ~(笑) お前なあ これ 俺なあ 本当になあ アマチュアでなあ もろなあ え~まだ19才の時だから。アマチュアでだぞ~出てきてだぞ、もう聴いてわかるとおりギターも下手だしさ たまらんなあ ギターも下手だし もう。歌も もう なんかちょっと荒っぽいようなところがあってさあ、和田アキコを攻められないな  そういう歌い方してるしさあ、納得いかない部分です』

『これから 私の全てが始まるわけです』『北海道大会で 私は落ちるんです』。
全道大会には10組が出て 自分は落ちた。落ちたあと 皆が「よかった」と声をかけてくれた。1月2月はほっておかれて そのあと竹田さんから電話があり「一緒にちょっとラジオでもやってみないか」。『あら、私みたいのでいいんでしょうか?みたいなね。それと同時に遅いねえ、みたいな気持』が入り混じり 『ぜひ やらせてください!』。
毎週日曜日 12時から4時までのワイド番組の中で 10分から15分くらい歌わせていただいた。それが〔サンデージャンボスペシャルのひとり唄〕のコーナー。
     
   ♪ あなたと私のレッセッセ (サンデージャンボスペシャルから)♪

函館・レイコさんと シントツカワさんのリクエストでした。

☆シントツカワさん・・・
デビューしたのは高校受験の真っ最中で深夜放送を聴くのが楽しみでした。勉強より深夜放送を聴くため起きているという感じ。当時はHBC派だったのでSTVは〔オールナイト〕くらいしか聴いていませんでしたから〔サンデージャンボスペシャル〕を聴くことも 〔千春のひとり唄〕のコーナーも知らず 今思うと悔しい。千春さんを知ったのは 受験後の3月に友達がギターで名曲〔 旅立ち 〕を歌って聴かせてくれたから。が、良い歌を歌う女のこ と勘違いしてました。千春さんが男であると知ったのは デビューしてから1年以上たった78年4月の〔オールナイトニッポン〕月曜1部に昇格してから。買った〔 旅立ち 〕のジャケットには顔が写っていない。話す言葉は北海道弁丸だし。最初の印象は 歌だけはいいんだ~この人は、という感じでした。ちゃんと聴いたことがない♪あなたと私のレッセッセ♪をリクエストします。

『CDになってないんだ』『松山千春って名前が名前だしよ。〔旅立ち〕だけ聴いたらなキーも高いし 女のこだと思った方も・・』『俺が 自分が男だと思ったのは高校3年・・そういう話じゃない(笑)』(◎◎;)
〔ひとり唄〕をやっているうちに 竹田さんが 「レコードをだそうか」という話しになった。当時は全国的に ラジオ局がタレントを抱える発想はなかったし、前例がないということで抵抗が大きかった。竹田さんは「退職金を前借りできますか?」と会社に言ってくれて それでデビューさせてくれた。

当時は 打倒HBC。TVは強かったが ラジオはHBCには何をしても勝てなかった。HBCは 歌謡曲 演歌が強いから STVはフォーク ロックでいこう! そこでロックのキタガワさんの登場!
『矢沢のコンサートでな スピーカーの前で寝てたのはあの人だけ』
竹田 キタガワは ある種ライバル。そんな中で ・・・・
『ついに!昭和52年 1月25日 デビューを迎えるわけですよ』「はい」

  ♪  旅立ち (85年6月12日 千葉文化会館でのコンサートから) ♪

1977年 デビュー。その4月から STVで〔アタックヤング〕。この喋り方だから『ラジオ だめじゃないですか?』「千春 お前 そのままで構わないからさ。地のままの喋り方で ずっとやって構わないから」『それで自信を持った。俺な、意外と小心者なの』「そうなんですか~?」『熊谷 この野郎!お前の携帯番号聞いたか? 俺 。まだ聞いてないだろう?』「はい」(*゜□゜*)

皆にバカにされそうで 喋るのがいやだった。それで思ったことも言えず25年きてしまった。あまり得意じゃなかったけれど 道内各地で聴いてくれる人が増えて 自分の事を知ってくれる人が増えた。その後 〔オールナイトニッポン]がスタート。恩師竹田さんが亡くなる前日に 番組の話しがきて、竹田さんが「決めたぞ!」。その頃は純情だったので『はい やらせていただきます』。翌日 竹田さんが亡くなり衝撃的だった。竹田さんが残してくれた仕事 何本かは ちゃんとやろうと思った。
 
『その後は 俺一体どうなるんだろう?』『竹田さんがいなくなったってことは もうSTVとの縁も当然切れるんだろう。まあ 自分はここまでできたからいいか』。
その後 キタガワさんが引き継いでくれて、『亭主が変わった 女房みたいな気持でさ、なあ まあ何でしょうみたいなな、そういう形で ずっとやらせていただいて。けどやっぱりラジオは楽しいな。今 また お前 ラジオの時代らしいよ』「ああ、そうなんですか」『ラジオで喋ってる人間が そういう疑問符を持つんじゃない、このバカタレ(笑)』
「そうですよね」『テレビはね もう一方通行でつまんないんだと』
今も電話をとってくれたり FAX メールを稼動させてくれる女のこがいるから、『すぐ読んだりなんかしてさ、レイコだとか アケミだとか、元気かあ?こうやってられるんだから』「レイコ アケミは 思いでのある女性の名前なんですか?」『レイコはさっき読んだこ。アケミは お前だろう』「狭いですネ~(笑)」『俺が付き合う範囲って 意外と狭いんだよな(笑)。うるさい!この!』

   ♪ 讃 歌 (78年 札幌市民会館 ヤングジャンボリーから)  ♪

♪讃歌♪は〔アタックヤング〕のイベントで歌った曲で 自分で作ったけれど 全然覚えていない曲。CDにもなっていない。
『なんでCDにならなかったんだろう、なあ。なんで入んなかったんだろう。悪い曲じゃないよな』「いい曲ですね~」『自分で作ったから さすがに良い曲とはいえなくてさ、ついつい悪い曲ではないだろうなあ~と謙虚さを出してみたんだけどさ。いいか?』
(スタジオでは 皆さんうなずいているようです。詞もメロディも とてもステキです。今からでも CDになるという事はないでしょうか。お願いしたいです)

サンデージャンボスペシャル アタックヤングなどで歌った曲でCDになっていないのが多いのがわかった。
『STVは 持ってるな。俺が死ぬのを待ってるだろうな、なあ~。死んだ時には もう特番バンバンできるもなあ~、なあ』『待ってるな』σ( ̄∇ ̄;)

「当時 テレビに一切出ないというポリシーでしたが、なんでですか?」
『テレビで売る人間じゃないし、やっぱりコンサート一本一本あちこち回って 生の歌を聴いていただいて、なあ』。
それにより いいか悪いか、ついてきてくれるかどうかを決めていただくみたいな。歌謡曲 演歌 アイドルとは違うジャンルで歌っているというプライドがあった。

最初の出演は 78年11月旭川からの ザ・ベストテン。喋りが長いと あとで揉めた。あの番組を見たTBSのディレクターが素晴らしかった。秀樹とか沢田研ニが 何故特別扱いをするんだ・・と文句を言ったらしい。ディレクターは「何 言ってるんだ。お前達 テレビがなかったら ここまで歌ってこられたか?テレビでお前達は育ってきた人間だろう。松山さんは 自分でな あちこちの地方回りながらな 一曲一曲歌いながら、そうやって活動してきた人間なんだぞ。その方がテレビに出てくれるんだから それくらいの時間与えるのは 当たり前だ。少ないくらいだ。お前たちはテレビによって育てられたんだから もっと考え違いしないようにしなさい」と。

が、案の定 左遷された。スジを通すとなかなか出世できない世界。会社組織は なまじっかスジを通すと意外と恵まれない。スジよりゴマのほうが上手いと思う人が どんどん上がっていったりする。俺の回りは 本物志向。現場が好きでこういうものやっていきたい!という人達が支えてくれてデビューした。

   ♪  季節の中で (84年7月 大倉山ジャンプ競技場から)  ♪

☆旭川・キミコさん・・・
25周年おめでとうございます。特別放送があるので 今日は年休をとり 休みました。いつも録音してもらい聴いているのですが、今日はMDにバッチリ録音です。千春さんがデビューの頃は 子育てでコンサートにも行けず寂しい想いでしたが今は〈母が元気で留守がいい〉ではないけれど チケットがとれればいろいろな交通手段で 私達が行かないとコンサートが始まらない!ぐらいの意気込みで行ってます。これからも応援させて下さい。元気でパワーのあるコンサートを楽しみにしてます。

『私達が行かなければコンサートが始まらない・・っていうその気持は本当よ!本当に。 だって俺が行ったって始まらないんだから(笑)。そうだべ。お客さんいなかったら 幕開けて誰もいない所で歌ってられないんだから。本当に貴方達がいてくれたからこそ  私もですね 歌えたりするんです』

道内「行ってない所って あるんですか?」『あるさ。当たり前だべや バカ!』
北海道は 212市町村ある。我が十勝でも この前 帯広 音更でやったくらい。まだ 本別 陸別 清水 新得 幕別・・行ってない所は いろいろある。
『今年 春のコンサートどこへ行こうかと考えてて、とりあえず札幌はやると思うんだ。釧路 北見をどういう風につなげようか』・・会館をどうつなげていくか考えている。
『行かせていただきたいと思いますんで その時はどうぞよろしくお願いします』

☆札幌・ムツコさん・・・
デビューした時は 初めての子供が生まれて 歌を聴くどころではありませんでした。その子もいまや25才、二人の子どもの母になりました。初めてのコンサートは 転勤で札幌に来た友人の北海道弁の通訳として行ったんです。それ以来すっかり千春教の信者になりました。とても大きく丸くなられたあなたに 身体に気をつけて 毎年会えるように願っています。

☆ヒデノリさん・・・
正直言って あまり好きでなかったんです。ああだこうだと文句を言ってる印象が強かったからです。1年7ヶ月前に自分の店を持ってからラジオを聴くようになりました。歌 話しを聴いているうちに 良い歌を歌うんだと改めて認識しました。話しに裏表も全くなく 店のお客さんにもファンが多く ラジオから千春さんの声がきこえると 千春だ~!と一斉に皆の気持がラジオに集中します。今まで ちゃんと千春さんの話しを聴かなかった分これからはたくさん聴かせてください。自分の店が25周年迎えられるよう頑張ります。

 1月27日放送分より②(12:00~13:00)

さて、たくさん皆様からメッセージ、そしてリクエストをいただいているんですが、このあともどんどんご紹介して参ります。

   ♪  人生の空から    (’80年 NHKホールより)  ♪

☆白石区・アキヒコさん・・・
噂で聞いたんですが〔 人生の空から 〕という曲あるっしょ?あの曲って富山に千春さんが来た時に、富山で作った歌だって聞いたことあるんだけど、それって本当かい?そうだったら聴きたいな~!俺、富山の新湊出身なんですよ、懐かしいですね~・・・これから彼女と定山渓行くところ この番組終わったらゆっくり温泉入るわ じゃ~ね!

『新湊はね、ホタルイカとかが取れるなかなか美味しい町だったりなんかするけどね、アキヒコ 彼が言う通り〔 人生の空から 〕は、私がコンサートで旅をしてる時に、丁度富山県の高岡という町があって、これ富山県の第二の町になるのかな?ここへ泊った時に、このホテルが素晴らしいホテルでさ、一階がパチンコ屋さんなんだよ 朝からチャンチャチャンチャン いやもう強烈なんだって!たまらんな~!みたいな』

夜9時くらいになるとパチンコ店が閉店になり、静けさを取り戻すが、昼間のパチンコの音がバァーっときて寝れなくて、駅のすぐ横だからゴトンゴトンと聞こえるし、汽笛がプーとかいうのも聞こえるし、それでこの曲を速攻で部屋で作りだした。「へー!?雑音の中で生まれた曲なんですか?」『だから、皆さんに言っておきたいんだけど、俺は その 旅先でね、女性と一緒にいることはありません。いつでも曲がどのような形で出来るかわからないんで、横にギターはあっても、女はいません。これは強く強調しておきたいですね。』

☆ファン暦25年の主婦さん・・・
千春様、貴方様のおかげで私達二人は結婚してしまい、もう18年目に突入してしまいました。二人とも大の千春様のファンで、千春談義に話がはずみ、ついでにはずみで結婚、家にはLPなど2枚2冊ずつ、千春グッズで溢れかえってしまいました。山あり谷あり、昨年は大荒れの一年でしたが(コンサートも外れてしまい)どうやら嵐も去っていったようで、今年こそは良い年になりますよう願っております。

『結婚もな、18年もたちやな~ いろいろお互いのアラばっかり見えてきてさ、熊谷はまだ結婚してないんだろう?』「まだしてないです。」わかってくるけど、最初のうちはアツアツでも、何年も経てば箸の上げ下げまで『ニクタラシイ なんでそんな食い方するかな?』みたいなね。それを通り過ぎると『お互いに、二人しかいないんだな』みたいな気持ちになれたりするけど『ある意味倦怠期だとか、そういうのってあるよな!?』

『ウエヤマのところもあるらしいよ!あのうなづきかたは(笑)』『お前んとこ倦怠期か?』あいつの結婚式は素晴らしかった!新郎があそこまで歌いきった結婚式って初めてだった。バンドか何かいきなり来て、ギター持ってきて せつせつと新婦に唄いかけて、新婦は「素敵!」みたいな、もう目がハートになってて、俺達客はシラケて「バカヤロ~!こんな曲のどこがいいんだバカタレ!」みたいな、あんな披露宴は なかなか無い。『いや いい披露宴でした!(笑)』「はい 今もう隠れてしまいました(笑)」

☆北の狐さん・・・
私は北海道に来て20年が経ちました。京都で千春さんを知らなかったら多分、北海道で酪農なんてしていません。「千春にソックリの青年がいるので来ないか?」って言われて、騙されました。今は100キロ近いおなかの主人になってしまいました。私は20キロ細くなりました。実家に帰りたいと思った時、いつも千春さんの歌を聴いておりました。

『京都からか?・・しかも酪農ね』
まさにBSE・狂牛病で、大臣が、また役所がだらしなかったばかりに、ここまでいろいろ揉めてくるような状況になったりしたけど、最終的には責任の取り方、いさぎよさ。悪かったら悪かった。認めるところは認める。
『日本人はこの頃、そういうのがなくなってきたのかもしれないな。』

今 リストラ・不景気・株が安くなっただとか言われているけど、それこそ小泉さんに調べてもらいたいんだけど・・・失業率がこれだけ下がった云々言われて、第一次産業に戻ってきた人達がどれだけいるんだろうか?っていうのを調べてもらいたい。
『どうぞ皆さん、景気が悪いんだし農業でもう一度、日本は消費型の社会でなく、生産型の社会にしましょう!』って、そういうスタンスで北海道やってくれれば面白いとは思うけど・・・

☆清田区・52歳の方から・・・
25周年おめでとうございます。今日の放送心待ちにしていました。私が千春さんのことを少しずつ知るようになったのは、STVラジオからながれてきた〔 銀の雨 〕を聴いてからです。長男は昭和52年1月21日生まれで、先日25歳の誕生日を迎えました。それからの私は、2歳違いの長女の子育てと、家業(食堂)の手伝いとで、大忙しという状態でした。これからも千春さんが生きている限り、歌っていてくれる限り、人生の波を越えながら生きていこうと思っております。

『〔 銀の雨 〕な~!いい曲だよな~!』
昔の歌ってあまり聴かない。自分の部屋で自分の曲・CDをあらためて聴くという作業はしない。たまにラジオなどでかかってくる〔 銀の雨 〕があるとすれば『あ~やっぱりこの曲いい曲だよな~!』って、あらためて思う時がある。「千春さんが今まで自分で作った曲の中で、どれも好き嫌いはないと思うんですけれど、すごく思い入れがあったり、すっごい好きっていう曲と、これはちょっと自分的には、なんかいけなかったけど、すごい売れちゃったって曲とかって、あるんですか?」『一番思い入れが強いのは〔 旅立ち 〕よな!当然な!デビュー曲。それでなんで売れたんだろう?と、思ったのが〔 長い夜 〕だな!』「あっ そうなんですか?」『うん そう思うな』「へ~~~っ!?」

『あと、もっと売れてもいい曲があるのに?みたいな、要は耳の超えてない国民が多いなって、つくづく感じる。俺なんかいつも曲作ったり、アルバム作ったりなんかしてんだけど、自分の才能にあきれかえる事があるもんな!いいのかな?みたいなな!世界中の才能をひとりじめにして、いいのかな?と、思うことがあるもんな!自分でな!(笑)』「ナルシストなんですか?」『ナルシストまではいかないけど、やっぱり自信持たなかったらな!多分 今 ラジオ聴いてらっしゃる方の中でも、「私、そんなに出来ないですよね~」って、前置きしておいてやるタイプか、「あ~自信あるよ!」って、やるタイプか、要は俺は後者よ!』

出来なかった時が恥ずかしいので「自信ないんだよな~」って、先につけるのが、日本人に多いパターン。出来なかったら出来ないでいいじゃないか。どうせ笑われるの自分なんだから・・・出来るか出来ないか、結果は同じなんだから、最初から明るく「自信あるよ!任せろ!任せろ!」みたいな、そういう感じのほうが好き。

これからソルトレークシティーのオリンピックもあるけど、清水なんかは、やっぱり自分にプレッシャーをかけて、うまく乗りきるタイプじゃないかな?言い訳を探すやつ、最初から言い訳を作っておいて「こういうことがあったから、こういう結果になってしまったんです。」これは、アスリートとして最低だと思う。「自信あります」って行って、結果がだめだったら「力足りませんでした。」その一言で良い、気持いいじゃん。
『だから そういうレースを ソルトレークシティーは 是非、北海道選手たくさん行ってるから、頑張ってもらいたいと思うわな!』

☆岩見沢市・岩見沢農業高校 大滝カズヒサさん・・・
25周年記念おめでとうございます。高校時代、そしてOB会、思い出すな~!みんなと再会出来たら嬉しいな~!これからも益々頑張って下さいな!今日もバスケットの練習をこれからして、この放送はテープに録音しております。

『あらっ 大滝さんは、あれなんだ まだバスケットやってんだな!?これ岩見沢農業高校の先生なんだ!俺が高校2年の時に足寄高校に赴任してきてくれて、バスケット部の顧問になってくれた先生なんだ!』「今もじゃ~現役でバスケット部の?・・」『やってるんだな~!? そろそろ定年だと思うけどな』
高校ぐらいの時は、先生・指導者で全然変わる。大滝先生は日体大かな?日体大でバスケットやってて、いきなりこの人がきてから、我が足寄高校は強くなった。「指導がやっぱり違うんですか?」パスひとつ、ドリブルひとつの仕方からして全然違ってくるわけで、高校生なんて新しいものどんどん覚えるのが早いから、腕があがった。

それまで、十勝大会でいつも一回戦で負けていたけど、大滝先生が来てくれてから、優勝まで狙えるくらいの力になった。俺が高校2年の時に来て、その時にインターハイで十勝大会で柏葉高校に負けて、3年の時には三条高校に負けて、結局俺達は道大会に出れなかったけど、次の世代の連中は優勝して道大会に出れた。ホントに指導者によって変わる。

『この頃、なんかしんないけど学校の先生から電話がくんだよ!何かな?と思ったら、要は、皆定年近いだな!?最後に俺の声が聞きたいってな、冥土の土産にな!』「あっははは そんなこと(笑)」

『いやいや この間も北見の緑陵高校ね、マエカワ先生って、これ俺の担任よ3年間 28年ぶりか?電話きたな「マエカワでよーす」いやいや その先生可笑しかったんだ。「でよーす」って必ずつけるんだよ』『先生お元気ですか?』そしたら来年定年を迎えるとのこと、それで久し振りに「松山君の声が聞きたくて」みたいなね。『いや先生すみませんね、俺、先生が担任だったばっかりに、英語が大嫌いでしたからね、出来の悪い生徒で申し訳ないです。』そいういう話をいろいろした。あと旭川には、定年になったキクタ先生がいて、去年コンサートに行った時も遊びに来てくれ「俺はこのまま旭川に骨を埋めるよ」とか言ったりして・・・『嬉しいな!やっぱり先生が、そうやって今でも自分のこと見守ってくれてると思ったら、自分も先生に負けないように一生懸命頑張りたいと思いますね』

♪  燃える涙 (’91年 デビュー15周年記念ディナーショーより) ♪

☆フェイエノールト(オランダ)・小野伸二選手より・・・
デビュー25周年おめでとうございます。僕はまだ22歳で、この25年という時間を生きていないんですが、千春さんのコンサートに行って、少し考え方が変わってきた気がします。コンサートの中で仰った「裕福になるのではなく、幸福があればいい」という言葉に、それが僕の生きる道だと思いました。常に自分だけでなく、まわりの人にも幸福を分けられるような選手を目指して頑張っていきたいと思います。千春さんも御身体に気をつけて、いつまでも楽しい千春さんでいて下さい。

『伸二は、あれだろう?今日は開幕戦じゃないかな?オランダ・フェイエノールト。ね、伸二に言ったんだ『もうちょっと言い易いチームに行け!』言いずらい・・・『名前が言いずらいようなチームに行くんじゃない!』と、あれほど言ったのに・・・な!(笑)』

☆東京読売巨人軍・阿部慎之助選手より・・・
この度はデビュー25周年おめでとうございます。私はまだプロデビュー2年目の若輩者ですが、千春さんの25年という数字を、大きな目標として、今後も必死で頑張っていこうと思います。実は、私は大学時代の友人と《千春の会》というファンクラブを作って、千春さんを応援し続けています。個人的な夢で恐縮ですが、いつの日か、この《千春の会》に千春さんご本人にも参加していただいて、みんなで〔 恋 〕を大合唱出来たら最高だと思っています。今後も50周年を迎えられるよう、千春さんのご活躍とご健康をお祈りしています。

『慎之助な、しかしよ みんなで集まって合唱するのは〔 恋 〕では、ちょっとな~・・明日のジャイアンツがちょっと寂しくなっちゃうな。もうちょっといい曲はなかったのかと思うわな。しかし慎之助が入ってくれたおかげで、10年は安泰だろうな?ジャイアンツのキャッチャーは。キャッチャーっていうのは、一番育てるのが難しいからな。そう意味ではホントにいい選手が入ってきてくれたと思うわな。』

今お電話が繋がっているのは、気の合う後輩のひとりで、千春さんの大ファンという、俳優の加藤晴彦さんと繋がっています。

晴彦さん・・・あっ どうも こんにちは!です。
熊谷アナ・・・こんにちは!です。加藤晴彦さんでいらっしゃいますか?
晴彦さん・・・はいそうです。はじめまして!
熊谷アナ・・・はじめまして!熊谷と申します。どうも!
晴彦さん・・・加藤です。宜しくお願い致します。
千春さん・・・晴彦!お前 何びびってんだよ バカヤロ~!
晴彦さん・・・いや この間はどうも いろいろご馳走さまでした。
千春さん・・・とんでもない とんでもない
晴彦さん・・・先週二回とも 二日とも、食事さしていただいて 札幌でも
千春さん・・・どうでもいいけどさ、今、忙しいんだろう?
晴彦さん・・・いや まっ 普通ですね でも、まだ働かなきゃいけない時期なんで・・・
千春さん・・・言うね 言うね!(笑)
晴彦さん・・・幸福を手に入れなきゃいけないんで・・・
千春さん・・・そうそう あたりまえじゃないか! お前さ、今ドラマは?
晴彦さん・・・えーと ほぼ90%なんですけど、4月からフジTVのほうでやると思います。
千春さん・・・ホントにか? それで映画は?
晴彦さん・・・映画は一応公開が又秋にありましてですね 又 今年も後半映画とかやっていきたいなと思ってますけども
千春さん・・・お前 今でもボード履いてんの?
晴彦さん・・・あっははは(爆笑)
千春さん・・・なに?やっぱ 電話でる時もボード履いて、スキーウェアで当然いるわけ?(笑)
晴彦さん・・・あっははは(笑) そうですね。皆さんの想像壊したくないので、そうしときます。
千春さん・・・あたりまえじゃないか!お前 ところでさ、ドラゴンズファンだもんな!
晴彦さん・・・僕はもうバリバリです。
千春さん・・・だろう?お前基本的に名古屋の人間だからさ 要は 単なる名古屋のヤンキーだったんだもんな~?
晴彦さん・・・違いますよ~!(笑)
千春さん・・・な~に ヤンキーじゃんか お前
晴彦さん・・・違いますよ!でも なんかそれは でも 多分 千春さんと巡り会うための修行だったのかという・・・(笑)
千春さん・・・修行だった~!?お前アホか?(笑)
晴彦さん・・・あっははは(笑)よかったです。いろいろあのね、ホントの厳しい、いろんな事を学んだのが、今 千春さんに可愛がってもらえる、何か力になってるのかと思うと、良かったです。はい 悪さして・・・(笑)
千春さん・・・お前さ、名古屋ファンとしてはだよ、キャッチャー中村武志が横浜行って、谷繁が今度来るわけだよ 複雑だろう?
晴彦さん・・・中村さんとは、千春さんもそうですけど、ご一緒させてもらってる立浪さんが、特に中村さんと仲良かったのもあったんで、名古屋でちょっと話したんですけど、すっごい寂しそうだったんで、僕もそれを見て寂しかったですね・・やっぱ最後までやって欲しかったですね。
千春さん・・・そう意味では武志にも頑張ってもらいたいしよ、今度バカな谷繁がくるからさ、ちょっと可愛がってやろう!
晴彦さん・・・あっははは(笑)僕からはそういうこと言えないですけどまだ若輩者なんで
千春さん・・・よく言うよ お前は巨人嫌いなの?
晴彦さん・・・いや 嫌いじゃないですよ
千春さん・・・ハァーーー?
晴彦さん・・・だって、今北海道でながれていますから巨人ファンの方、多いと思うんですが、やっぱりジャイアンツがプロ野球界に与える影響って、なにやかや 大きいですからね やっぱり、それに我々中日、我々って言うと変ですけど、ついて行かなきゃいけないし、ああいう形で星野さんも阪神に行かれたわけなんで
千春さん・・・なにが我々だよお前(笑)いつから球団代表になったんだよバカヤロ~!(笑)
晴彦さん・・・ウヮッハハハ(大爆笑)
千春さん・・・晴彦よ ホントにお前達名古屋の人間っていいよな~!地元の球団があってさ 我々北海道には地元の球団ないわけだ。そしたらテレビで映る やっぱり 巨人が中心だから・・・我が北海道 今 これ札幌のSTVだから、北海道しかながれてないんだけどさ、北海道の連中に「中日の選手誰知ってる?」ったらな、立浪、野口、憲伸、山本(昌)、それぐらいだろう?もし、井端、荒木、なんて名前が出たら、名古屋に親戚がいるとか、そういう連中だけだって!(笑)
晴彦さん・・・あっははは(笑)
千春さん・・・お前が推すようなドラゴンズの選手って誰よ?
晴彦さん・・・僕よりも年下ですけど、荒木君はホントに礼儀正しいですね
千春さん・・・いや 礼儀正しいじゃなくて 野球選手として華がある
晴彦さん・・・う~ん それがないから困ってるんですね
千春さん・・・ゥワッハハハ(爆笑)
晴彦さん・・・だからね あの はえぬきでね、最初から全国的にも通用する、名前も実力も通用するっていう選手出てきてくれないかな?と思うんですけどね。なんか、元気もないし若手には なんか勘違いしてるやつも最近多いですし
千春さん・・・お前監督の山田とは会ったか?
晴彦さん・・・去年のキャンプで、ピッチングコーチの時に一回お世話になって いろいろ
千春さん・・・行くんだろう?キャンプには
晴彦さん・・・はい 2月に行ってきます。
千春さん・・・それ仕事も関係して行くのか?
晴彦さん・・・そうです。もう今年で4年目になりますけど
千春さん・・・あのね これね 北海道では考えられないんだよな
晴彦さん・・・なんでですか?
千春さん・・・俺達北海道には キャンプがないから・・
晴彦さん・・・この間僕、初めて札幌ドーム見たんですけど、あんな立派なドームあったら、いろんな問題あると思うんですけど球団欲しいですよね?
千春さん・・・欲しいな~!
晴彦さん・・・あるとやっぱり ちょっとまたひとつ 変わりますよ!
千春さん・・・いやそれがさ、本社は今変わってしまったんだけど、雪印って、いい企業あったのよ!これがいろいろ 自粛中だから難しいしな・・・札幌に本社持って一番大きい会社ったらホクレンかな?次あたりがSTVがくるかな?
晴彦さん・・・千春さん自身、持てそうじゃないですか?
千春さん・・・あっ お前 俺の資産を知ってるな?
千春さん&晴彦さん・・・ あっははは(お二人とも大爆笑)
千春さん・・・お前 まだ若いんだしな お前は26か?
晴彦さん・・・だから ほぼあれです。あっ!遅ればせて25周年おめでとうございます。
千春さん・ ・・あっははは いや 俺も今自分の番組忘れてたよ!(笑)
晴彦さん・・・ほぼ同世代なんです。それからいうと僕は同じ年というか
千春さん・・・お前もこれからな いろいろ女のことだとか、いろんな事で、もめるかもしれないけどさ、けどさ、恋愛しようが、なにしようが、ひとつひとつ それこそ芸の肥やしになっていくわけだからな いろんな人と付き合ってもらいたいし、共演した女優さん・俳優さんであれ、いろんな人と仲良くなってだぞ、意外とお前もシャイな男だから・・・
晴彦さん・・・そうなんです。実は僕ダメなんです。
千春さん・・・今度週刊誌に載る時は、ちゃんと電話一本よこせよ!
晴彦さん・・・いやっははは(笑)はい わかりました!
千春さん・・・「次はこんな女になってしまいましたけど」とかな!そしたら俺が趣味が良いとか悪いとか言ってやるから
晴彦さん・・・その辺の話しは、食事の時にしましょう!
千春さん・・・あっ そうだったっけ!これ番組だったんだな~!?(笑)
晴彦さん・・・あまりかわらないので、僕 今ドキドキヒヤヒヤしてますけど・・・(爆笑)
千春さん・・・いやわり~わり~ けど、晴彦 又、どっかで会おうぜ!冗談抜きに俺も沖縄のキャンプに・・・立浪いるしな!お前、ゴルフちょっと覚えろよ!
晴彦さん・・・それだけはホントについて行けないので、頑張ります。
千春さん・・・じゃ~晴彦 お前もな、25年経ったら名古屋の放送局でこうやって番組やってもらえるよう!
晴彦さん・・・そしたら千春さん逆でお願いします。
千春さん・・・あたりまえじゃないか!じゃ頑張ってな!
晴彦さん・・・頑張ります。これからも公私ともに宜しくお願いします。
千春さん・・・宜しくお願いします。
晴彦さん・・・では頑張って下さい!又電話します。皆さんに宜しくお伝え下さい。

     ♪     銀の雨     ♪
 (’84年7月 SPECIAL SUMMER LIVE(大倉山ジャンプ競技場)より)

〈この曲へリクエストして下さった方〉
豊平区のエミさん 函館市のコンヤキヌさん 壮瞥町のイツミさんゆうちゃんのママさん  ほかたくさんの方々・・・

☆豊平区・35歳主婦の方からのメール・・・
22年ほど前、主人がまだ16才の時にススキノのパチンコ屋さんで、千春さんを見たそうです。サインをして貰おうと声をかけたら『今、出たばっかりだからだめだ』と言われたそうです。しかたなく隣でパチンコをしていたら『お前等には負けた』と言ってサインをしてくれたそうです。

『申し訳ない! 一時はまってたことあったもんな。俺と会うんだったら事務所へ行くよりも、パチンコ屋へ行ったほうが早いという そこで、レコーディングの打ち合わせもしたことあるもんな』
ススキノの“シンセイ”というパチンコ屋の、従業員からおやじから みんな仲良しになって「警察が来たから車どかしたほうがいいですよ」とか協力的な良い店だった。「その台は出ませんよ」と、言われたことはあっても「出る」と、言われたことはなかった。

※お花がたくさん届いてるそうです。
◎竹丸師匠
◎ナオコさん
◎みのもんたさん
◎STV 笹原編成局長
◎日本コロムビア
◎メディアプロデクト
◎STV イソバラジオ局長
◎STV 石橋取締役社長

『STV取締役社長石橋さん 基本的にアナウンサーなんだぞ!』「みたいですよね」『みたいですよねって、聞いたことないのか?お前』「すみません!いや知ってますけど、番組とかは見たことないです。」『全国でな、あれじゃないか?アナウンサーから社長まで上りつめたっていうのは石橋さんと、ニッポン放送の亀渕さん、これぐらいだぞ!ホントにアナウンサー諸君 みんな頑張ってくれ!目指せ石橋!ホントに君達も頑張ればなれるんだぞ! 』

    ♪     もう一度     ♪  (年度 及び 会場 ?)
  

☆岩見沢市・イクコさん・・・
千春さんの〔 君を忘れない 〕は、娘(中学1年)のカリンちゃんと私の、思い出の曲です。小学校の卒業式で、先生達が退場の時にこの曲を歌ってくれたんです。感動のあまり、顔をクシャクシャにして泣いていた娘の顔は、忘れられません。そんな娘も中学生になり、今はバスケットに夢中です。背が155?で低めなんですが、その分テクニックでカバーしようと、毎朝7時から冷凍庫のような体育館で、200本シュートをする毎日です。2月に空知管内の大会があるので、千春さんから「カリン頑張れ!」て、言って貰えたら嬉しいです。

『カリン頑張りなさい!』
『私も背が低くてですね、バスケットには不向きかな?と思いましたけど頑張ったね。もうちょっと頑張ったらNBAに入ってたかもしんないな?』
「あっははは(爆笑)」『いやいやホントに 何笑ってるんでしょう?バッカヤロー!お前 さっきの大滝先生に電話してみろ!俺はその位の力があったんだって!身長が180なんぼもあったら、俺は歌を唄ってなかっただろうな?そのままバスケットでメシを食ってたみたいな そして 北海道に帰ってきて『何することがない』みたいなね、そういう状態に陥ってたんじゃないかな?と、思うな・・・』

♪ 新たなる旅立ち  (2001.6 月寒グリーンドーム ライブより )♪

『STVはいろんなテープ持ってるよなあ。15年目のディナーショーのテープとかよ。俺に全然聞かせないもんなあ。ほんと、びっくりしますねえ』

〈 メッセージ 〉
☆帯広・イワタハルミさん・・・
私が主人と結婚したのは千春さんが縁かもしれません。おつきあいがはじまったとき、彼も千春ファンなことがわかり、急接近。千春さんの音楽がなかったら、私たちはこんなに親しくならなかったかもしれない。千春さんの歌がある限り、私たちの会話が途絶えることはありません。千春さんは私たちの永遠の縁結びの神様です。

『縁結びなあ。ひょっとしたら、俺がくたばったら神社ができるかもしれないなあ。』「いろんな音源もありますし。」『そうそう』

〈 メッセージ 〉
☆東区・匿名希望さん・・・
人生はゲームだ。1982年のコンサートで話したこの言葉は、20年たった今も、俺の人生での目標です。生きていくにはルールがある。でも、勝負に出るときにはやらなきゃだめだと言うような意味だったと思う。今、会社員の自分は会社と言う枠組みの中で、思うように動けないことがあります。今は忍耐のときとふんばって生きています。俺はコンビニを経営するのが夢です。今は資金つくりのために貯金をしたり、経営の本を読んだりと実現にはまだまだ時間がかかるけど、俺の人生のゲームは先が長いから勝負のチャンスをうかがいながら、がんばります。

『ほんとにゲームですからね。いろんなルールがあるわけですよ。』
金持ちの家に生まれて何不自由なく暮らす人間もいる。貧乏人の家庭に生まれ、父さん母さん仕事でずっといないような人間もいる。決められたルールの中で、自分の能力をどこまで極めることができるか。いつ勝負に出て、その勝負に勝つか負けるか。負けることは別にかまわない。男はいつも勝負しなくてはならない。負けてもこわくない。謝ればいいだけ。また、力を蓄えて勝負すればいい。

『何度でも何度でも挑戦する限り、人間っていうのは輝き続けられるものだと思うから。負けることはこわくないよなあ。問題はやる気をなくしたときよ。もうできないんじゃないんだろうか。もう力を蓄えることはできないんじゃないか。自分のこれが限界かなあと、そういうふうにあきらめたときが、ちょっとこわいなあ。』「千春さんにそういうときはあったんですか?」『ないんだもん。俺なんか天才だからさあ、天才はあきらめを知らないんだもん。自分を信じてるからな。自分には絶対そういう力があるんだみたいな。壁という壁をあんまり感じたことないなあ。』

でも、千春さんは、健康状態で年取ったかな?どうして体が動かないんだろう?と思うことはあるらしいです。町を歩いてて人とすれ違うとき、これくらいよければかわせると思っても、ぶつかることがあり、そのときに感じるそうです。

『ぜひ、みんなにもがんばってもらいたい。自分の職業、今自分がやってることに対して、誇りの持てる人間であってもらいたいもんな。そういう誇りがないばっかりに、雪印の問題でも、仕事に自分で誇りをもっていれば、あーいうことって、自分の良心が許さないと思うんだよな。自分の良心でさ、たとえば俺たちこうやって放送やってても、これはやっちゃいけないだろうとか、これを言っちゃいけないだろう。そういうものって最低限あるじゃないか。そういう緊張感も人間って必要だと思うんだよな。』
『良心のもとに仕事をやってれば、それが誇りとなるし、その誇りが目の輝きにもなるしさ。ただ、それが果たして報われるかどうかは別だよな。報われることを求めるんじゃなく、自分の良心に従って、何ひとつ恥ずかしくなく、お天道さまを拝めるぞと言う、そういう人生を送ることがすばらしいんだということを、次の世代の人間たちに、もっともっとたくさん教えないとな。』

卑怯な手を使って金もうけした人をほめてはいけない。それよりも細々と暮らしてるけど、自分の良心にそむかず、嘘もつかない生き方の方が立派な人間だ。子供たちにそういう形で教えてあげるべき。
もちろん一代で、努力して一生懸命働いてな大金持ちになった人には、拍手を送るべき。日本人は誰か成功すると、足引っ張りにかかる。特に北海道みたいに新興の町は、必ず足を引っ張る。成功は成功として、拍手を送らないと。同じ北海道で生まれて育って、よくやった、それくらいの拍手を送ってほしい。

〈 メッセージ 〉
☆女満別・ケイイチさん・・・
私は牛の人工授精士です。この仕事に就こうと思ったのは、足寄町の鈴木(ゆきひろ)さんという方の影響です。15年くらい前のTVで千春さんが「俺の親友」といって、スノーモービルで牛の人工授精士をされている鈴木さんの姿を紹介していました。それを見て、私思ったんです。この仕事がしたいって。そして今、スノーモービルじゃないけど、車にのって、毎日酪農家をまわっています。しかし、最近の狂牛病で、酪農を営む人はみんな元気がありません。千春さん、お願いです。みんなが元気になれるようなエールをください。牛に携わっているみんなが元気になれますように。

『私は牛肉大使ですからね、牛については、けっこううるさい部分もありますがね。自分の友達が授精士をやってたり、酪農家の人も多かったりするんだけど。今回の狂牛病に関しても、牛には何の問題もないんだよな。牛は自分がどんな飼料食わされてるかも知らないしさ、牛が好んで食ったわけでもない。ただ、乳の出がよくなるからってな、肉骨粉、カルシウムが入ったものをと、いっぱい与えて、そういう形になってしまったんだけど。農家の人も、自分で選んできた飼料じゃないから、何が入ってるかわからないこともあるし、国の対応だったんだよ。』

1986年、最初の狂牛病が登場したイギリスで肉骨粉がやばいといったときに、日本はストップすべきだった。本当は輸入禁止にすればよかったのに、行政指導にとどめた。そのときの局長が、この前農林事務次官で、退職金8700万もらっておやめになった方。あの人の退職金は、そんなにもらっていよかったのか。あの人が局長のときに行政指導にしたばかりに、狂牛病が日本に入ってきてしまった。その責任は?
今の日本は、責任の取り方が難しい。武部農林水産大臣もやめれば、責任がとれるかもしれないが、BSE問題が解決するわけでない。かといって、前の厚生大臣のときのことといえば、当時の厚生大臣は菅さん、その次が小泉さん。
絶対間違っていけないミスをしたときには、辞める、退くというのも一つの方法。取り返しのつくミスは、仕事で取り返しのつくことも多い。でも、取り返しのつかないミス、それはもう罪。
大手企業が国から支援を得たりしているが、責任の所在もはっきりしないのに、国が支援したり、公的資金を注入するのは難しい問題。働いている人間は、毎日一生懸命仕事してるけど、上層部が、勝手に手を広げたりして、借金ができる。売り場にいる人は、俺の責任じゃないといいたくなる。そういう人間たちの責任とってから、国が支えるのはわかるけど、責任はうやむやにして、大きな会社がつぶれたら、社会に影響がきたすと支援するのはやりすぎじゃないか。大きな会社が支援されて、中小零細は支援してくれない。国民の不満は爆発しそうだ。

『責任の取り方、これから、構造改革が進んでいけば、まず一番先に考えるのは責任だよな。潔くなくなったよな、日本人はな、だらしないな。やっぱりさ、「申し訳ありませんでした。私の責任でした」って頭の下げ方を忘れた日本人はつまんないな。ほんとに何でも欧米化すればえらいってもんじゃないよな。ぜひ、皆さんも、私もそうですよ。家庭の中でもそうですよ。父親としての責任、母親としての責任があるわけだから。子供に対して、父親として、責任がとれなかったら「ごめん、申し訳ない。」それは俺の責任だからって謝るところは謝るべきじゃないかなと思うけどな。個人があり、家庭があって、地域があり、社会があって、国があるんだけど。根本の小さなところでそういう謝るとか感謝するとか、そういうのがちゃんとないと、上の方も今みたいな状態になってしまうんだろうなあ。遠回りかもしれないけど、まず直すんだったら、自分の身の回りからだな。』

リクエストは足寄町のアケミさん

    ♪ 大空と大地の中で  (会場不明)♪

「千春さんのよき先輩であり、日本を代表する女優さんである加賀まり子さんと電話がつながってます」

加賀さん・・・こんにちは。
千春さん・・・加賀さんでらっしゃいますか?
加賀さん・・・まあ、千春さん、こんにちは。お元気ですか?
千春さん・・・どう?今日もきれい?(笑い)
加賀さん・・・今日はね、東京の空がすごくきれい。
千春さん・・・よくいってるよ。
加賀さん・・・ほんとよ。お昼までじゃんじゃんぶりだったの。
千春さん・・・でしょ。
加賀さん・・・それが、パーんとね。見事な青空。気持ちいいわ~
千春さん・・・加賀さん、若さの秘訣は?
加賀さん・・・私なんだかよくわからないんだけど、突然体オイリースキンになっちゃったのね。たとえば我々の年になるとね、枯れてきて油とかでなくなるじゃん。なぜだか知らないけど、今年は全然粉がふいたりもしなく、すごいおはだすべすべ。何か飲むもの変えたとかそういうこと何にもないのよ。
千春さん・・・加賀さんにとってさ、男は潤滑油になりうる?
加賀さん・・・(笑い)何いってんだかねえ。ほんとに、あなたね、私はとっくにそんなことやめました。
千春さん・・・よくいうよ。やめましたとかそういう問題じゃないよ。だってさ、この間あったときも、つくづく、きれいなやつだなって。
加賀さん・・・そう?だったら、いいなさいよ。
千春さん・・・いいなさいよって。ほんとにそう思うよ。
加賀さん・・・あ~ありがと。あたし、そんなこと男にいわれたの久しぶりだわ。(笑い)
千春さん・・・昔から俺ね、加賀さんよりずっと先輩ね、若尾文子さん、山本富士子さん、八千草薫さん、こういうラインが好きなわけよ。
加賀さん・・・あなたの青春時代って。。ちょっと老けてない?
千春さん・・・ガキんときです。俺が。
加賀さん・・・あなただって、30年生まれでしょ。羊年なんだよね。一緒。
千春さん・・・一緒なんだよ。俺たち。だから加賀さんも俺と同じくらいな年なんだけど。そういうことにしとこ~(爆笑)やっぱりね、加賀まり子って入ってくるんだよね。そのあと。
加賀さん・・・へえ。うれしいわ。そんな大先輩と一緒で。
千春さん・・・俺も、浮名を流した加賀さんだからな、きれいな人なんだろうなと思ったら、ほんとにきれいだモンね。
加賀さん・・・気持ちがきれいなのよ。きっと。
千春さん・・・俺が一番ラジオ聞いてる女たちにもね、ぜひ女子にはこんな女になりなさいってタイプの女なんだけど、加賀さんは。要はね、自分とあったときは淑女なんだもんな。
加賀さん・・・私が淑女じゃないっていえるの?
千春さん・・・いやいや、そういうわけじゃない。要は、いろんな男性遍歴もあっただろうし。
加賀さん・・・それって普通でしょ?アンテナみがいて生きてれば、いろんな人素敵に見えるだろうし、そんな中で恋もするだろうし。それ、そんなに男が多いって問題じゃないと思うのよ。だって、普通の奥さんだって、町で素敵な男に会えば、どきっとするだろうし。行動になるか表現になるかは別で。
千春さん・・・加賀さんに会うとさ、こいつは俺だけの女なんだと思わせるような女なんですよ。
加賀さん・・・素敵。ぜひ、お願いしますよ(笑い)。
千春さん・・・お願いしますじゃなくて、ほんと、そういう魅力のある女なんだなア。
加賀さん・・・ありがと
千春さん・・・男はさ、加賀さんさ、自分からいやになるタイプなんでしょ?
加賀さん・・・そう!っていうかさ、誰でももたれちゃうイメージあるでしょ。私が普通の人好きになるでしょ。そうすると、普通の女の子のがアプローチする3倍から4倍の労力が必要なのよ。
千春さん・・・よく言うよ
加賀さん・・・そうなのよ。つまりあの加賀まり子さんっていうイメージから、それを払拭してそのあなたのいうしとやかな女なのよ。こっち向いてくれるまでにものすごいエネルギーいるでしょ。
千春さん・・・はいはい。
加賀さん・・・そうすると、私疲れちゃうのよ。こっち向いたころには、もういいわになっちゃうから。
千春さん・・・熊谷よく聞いておけよ。
熊谷アナ・・・はい、正座してきいてます。
千春さん・・・加賀さんがこうやってしゃべってくれてるんだぞ。今ね、うちのアシスタントで熊谷明美ってのがいますけどね、これまだ25ででね、女として一人前になってませんもん。
加賀さん・・・25。一番いいときだもんね。
熊谷アナ・・・そうですかね
千春さん・・・25んときっていたら、いろんなもんがすべて輝いてみえるような。
加賀さん・・・自分だけが桜吹雪の中、歩いているような感じよね。勘違いの真っ只中。でも、その勘違いをしないで生きなきゃだめよね。若いときって。勘違いしたまんまの大人は困ったもんだけど。
千春さん・・・それなに?叶姉妹とか?(笑い)
加賀さん・・・私は誰って言ったことありません。
千春さん・・・加賀さんよく番組一緒にやるようなデビ夫人とか?
加賀さん・・・私そういう人と一緒に出てないって。そういう下品な人好きじゃないって。
千春さん・・・そういえば、美川さん元気にしてる?
加賀さん・・・私ここんとこ美川さんお目にかかってないのよ。
千春さん・・・どうしたんでしょうね。ようやく裁判も決着したと言うのに。
加賀さん・・・そうらしいね。
千春さん・・・俺去年さ、ばったり会ってさ、あら千春さん元気?とか言うからさ、俺は元気だけど、美川さん、裁判の方大丈夫?って聞いたら、大丈夫大丈夫とか元気よくいってたからさ。
加賀さん・・・大丈夫だと思うよ。なんかおっとりしててさ、美川さん本物ってそういうイメージあるけど、美川さんておっとりした人じゃない?
千春さん・・・全然みんながイメージしてるような美川さんと違いますよ。
加賀さん・・・だから、私たちの仕事ってものすごく孤独じゃない?
千春さん・・・それは、いえますね。
加賀さん・・・あなただって、万来の拍手あびて、さんざ、カーテンコールしても帰るとき一人だったりするでしょ?
千春さん・・・楽屋で一人でいるわけですよね。あのときに感じますね。
加賀さん・・・我々の仕事って常にそうじゃない。
千春さん・・・感じますね。あの孤独感。さっきまでのあれはなんだったんだろう。しかし、加賀さんこれからもドラマかなんかでがんばるわけでしょ?
加賀さん・・・今?なんとなく、いろいろ仕事してます。
千春さん・・・たまにはさ、俺を相手役にするとかってない?
加賀さん・・・いいね。でも、役者ってあなたやりたいの?
千春さん・・・別にやりたいと思わない。加賀さんに会いたいだけ。(爆笑)
加賀さん・・・それはプライベートで、いいじゃない。
千春さん・・・ありがとうございます。
加賀さん・・・なんていうの?あなたの住んでいる町に遊びに行けば会えるの?
千春さん・・・足寄町?や~あの町はおすぎが来てからおかしくなりました。あの町は(笑い)。
加賀さん・・・私でも北海道って好きよ。
千春さん・・・来ることあったら、連絡してくださいよ。
加賀さん・・・どこの町でも来てくれるの?
千春さん・・・あ~行くよ。当たり前じゃないですか。
加賀さん・・・出張サービスね。
千春さん・・・加賀さんに一言いわれたら。カメイって俺の友達にパシリ屋がいますもん。
加賀さん・・・やだよ、パシリじゃ(笑い)。
千春さん・・・こいつもう、どこでも行きますモンね。よんでいただければ、こいつに運転させてどこでも行きますよ。
加賀さん・・・でも、広いもんね。ただ、空気がすき。北海道って。
千春さん・・・確かに北海道って、広いもんね。北から南まで。まあ、でもほんとに会いたいですね。プライベートでね。ますますこれからもいい女でいてください。
加賀さん・・・ありがとうございます。
千春さん・・・我々の夢なんで一つよろしくお願いします。
加賀さん・・・ありがと。。今日は元気になるわ。
千春さん・・・今日はどうもありがとうございました。

      ♪   ひとりじめ (85.6 千葉県文化会館ライブより)   ♪

『しかし、今日はですね、私が25周年、プロとしてデビューして25周年を記念していただいて、普段ですと11:00~12:00の1時間ですが、3時間とっていただきましてありがとうございます。』

普段は12:00~はいしだくみこさんの「サンデーリクエスト」。そのあとが、みのやまさひこさんの「サンデーパラダイス」。今日もこのあと、みのやはまた登場してくる。さっき顔出したが、あれは俺に対して1時間食いやがって、このやろうみたい気持ちで挨拶にきたんだろう。彼も一生懸命シンガーソングライターとしてがんばってるが、いまいち芽が出ず、苦しんでる状態。歌はほんとにいい歌を歌ってる。

私は運良く、こうやって歌を歌ってられる。私がデビューした頃、北海道からデビューした方もたくさんいる。佐々木幸男とか同期。もとうちの事務所の社長の坂本さん(今はメディアプロジェクトの社長)がその当時キャニオンレコードの宣伝マンしていて、俺が昭和52年1月25日に「旅立ち」でデビューするとき、佐々木幸男の「君は風」いい曲だとさんざん言っていた。佐々木幸男いいんだと言ってた人間がいつのまにかうちの事務所の社長やってたり、人生っていうのはわからない。
俺は、STVに育てられて、いきなり歌手になった。最初はSTVにお金をだしてもらって、あちこち全国のラジオ局とかキャンペーンに行った。九州RKB、長崎。長崎ではさだまさしのおやじにも会った。だからどうした、そのくらいの感激しかなかった。岩手IBCでは、歌わせてもらい、ディレクターの北口さんに、「松山くん、竹田さんに言っといてくれ。いい人間を見つけたね。大きく育てようね」といわれた。

『あちこちでいろんな人にお世話になり、今日の自分があって、しかも今ここでしゃべってる。ここ第一スタジオだろ、まさにここで俺アマチュアのときに、ひとり唄っていってな2曲ほど毎週歌わさせていただいて、それが25年たって、一応プロの歌手としてだぞ、こうやってまだしゃっべってるなんて、ある意味では誇りに思いますね。できればですね、北海道には北海道なりの文化がありますからね、私もこの北海道を離れることなく、俺はデビューしたときからいってるんだもん。北海道だったら、どこでもいいって。稚内であろうがな、根室であろうがな、函館であろうが、襟裳岬の突端でもいい。北海道に引っかかっていれば俺は生きていける。ただ、北海道以外で暮らせと言われたらな、ちょっと難しいですね。それはなぜかといわれたらな、俺には北海道の風土、景色、それと北海道の人たちの人間性、そういうものが自分を形成してくれたわけで、そして今の歌があるわけだから、俺はこの環境を変えたくないんで、北海道のどこでもいいから、ぜひ住まわさせてくださいみたいな形でここまでやってきました。』
『その北海道が今、まさに景気も悪いし、あんまりいい状態でなかったりするんだけど、それはやっぱり中央に依存しすぎていた、そういう部分があって、それは経済も政治もですよ、音楽だってそうだったと思いますよ。それがSTVがんばったりしてな。北海道から文化を中央にみたいな、気概があって、STVもここまでがんばってきたわけでありますけど、まさに俺もそういう気持ちで一緒になってここまでがんばってきたんだけど、やろうと思えばできるんだよ。北海道に住みながら、歌を歌っていったりすることも十分できるんだよ。俺がこうやって25年たってだぞ、こうやって立証してきてるわけだからな。今ラジオきいてるかたの中でだぞ、本人であろうがお子さんであろうが、自分も歌やりたいなって、やれるって、どこにいようが、歌を歌うことはできるから、もちろん売れる売れないとか、客が入る入らないってのは誰にだってあるって、けどいい歌はずっと残ってくれると思うんだよな、そう思いながら、自分はこれからも一生懸命歌わさせていただきたいと思います。また、いろんな形でラジオ、コンサート、ひょっとしたらテレビも道産子ワイドかなんかに出てくるかもしれないしね、ぜひ楽しみにしていただきたいと思います。』

      ♪   です。 (2001.12 北海道厚生年金会館 ライブ)   ♪

「たくさんのメール、ファックス、メッセージありがとうございました」

プレゼント当選者発表
◎ 昨年のコンサートのパスカード パスケース  
岩見沢市の新十津川さん、函館市のマユミさん、西区のユミさん、ファン歴25年の夫婦さん、函館市のコンヤキヌさん

「そして明け荷の当選者は」♪ドラムロール

◎ 明け荷(あけに) 
清田区のアケミさん  ♪ファンファーレ

『ウエヤマ、俺365歩のマーチが始まると思ったぞ。もっと、なかったのか?ロール。びっくらこきましたね。いやでもね、明け荷はですね、なかなかすばらしいものですから』
「重たいんですよね」『オリジナルですから』「千春っていう名前もはいった」『これは武蔵丸も、貴乃花も持ってません。私だけのものですから、ぜひ大切に使ってやっていただきたいと思います。おめでとうございます』

      ♪  大いなる愛よ夢よ (? ライブ)   ♪

『ということで、松山千春 デビュー25周年記念 季節の旅人3時間スペシャルということで、今日はお送りさせていただきました。普段ですと、ここでTVだったら、ここでロールかなんかで制作とかが出るんでしょうけど、ラジオですからね。まったくないんでありますけどね。』
『制作、北川正、コナカデススム、ウエヤマショウイチロウ、イシモリトヨキ、サイトウミキコ、ウエヤマアキコ、ヤマヤケイコ、ワタナベマユミ以上が制作。そして技術、ウエムラアツシ。そしてオフィスゲンキ、井上元、田中真紀、これはうちの事務所の人間ですから、ただいたという。そばにいたということです。それから制作はSTVラジオ、出演が松山千春、熊谷明美』
『熊谷、ありがとな』「どうもありがとうございました。」『おかげさんで、3時間無事にのりきれたわけなんだけど、最後にラジオをお聞きの皆さん、ファックス、メールそして電話などたくさんいただきまして、本当にありがとうございました。励まされて、これからもますますいい曲を歌っていきたいなと思いますが、皆様にぜひね、北海道サイズ、我々はこれだけ広大な、すばらしい自然に恵まれた土地に生まれたわけでありますから、出来れば生き方も北海道サイズで生きてみませんか?その本州、四国、九州とは別に、北海道サイズの、俺も歌を歌っていくし、お前たちも北海道サイズで生きてくれないか?心も北海道サイズの心をもってもらえないだろうか。そしたらね、何かもっと違った北海道らしい我々の人生を作ることができるんじゃないかなと思います。自分はそんなことを夢見て、これからも歌っていきたいと思います。STVでは、自分も番組ありますんで、これからも一生懸命しゃべらさせていただきますんで、このままご愛聴いただければうれしいなと思います。今日は3時間の長丁場でしたけど、最後までお付き合いいただきまして、どうもありがとうございました。松山千春と、お相手は。』「熊谷明美でした」『どうもありがとうございました』

ライブはアンコール
♪最後までどうもありがとうございました。後ろの人もどうもありがと。横の人もどうもありがと。ど~も!♪
アンコールの声援

ライブの音源で締めくくり、終了です。

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