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NHK-BS2特別番組「スーパーライブ松山千春~23年目の旅立ち~」放映。’98横浜アリーナ、’99恵比寿でのライブ映像を含めた2時間スペシャル番組。12.06

1999年12月6日  BS放送
No 1   ムーンライトさんより    
BSスーパースターライブ(松山千春) ’99・12.6(月)

ナレータ:中井貴一

#頭の数字は流れた曲の順番です。

空港に着きそこからコンサート会場に移動、楽屋でのひとこま、そして、

1. 春夏秋冬(12/19横浜アリーナ)
コンサートでのMC、1曲ごとに席替えをしよう。一番前のが1つずつずれていく。でも、かわいい娘がきたらそこ でストップ。
2. 時のいたずら(横浜アリーナ)
花はどこに行った(原曲)が流れ、千春自身が歌との出会いを語る。5歳上の姉貴から教えてもらった。わたしたち の望むものはが流れる。さらに千春は語り、自分の歌はめちゃくちゃ明るい曲はない。明るい曲でも切なくなるような曲だ。それが自分の人生で根底にあるんだろう。
3. 恋(12/19横浜アリーナ)
コンサートでのMC。昭和52年1月25日に旅立ちでデビュー。
4. 旅立ち銀の雨季節の中で人生の空から(12/19横浜アリーナ)
コンサート会場で視力が良いという話を経て、学生時代の写真が映し出される。高校1年のときに学園祭で歌ったと きの話。そして、STVラジオの故竹田さんと出会い、ラジオの番組を持ち、レコーディングをするときにプロにな るのかと実感を持った。旅立ちのジャケット、ファーストコンサートのパンフレット、ステージを明るくするものと して、1輪のバラを千春は選んだ。
5. 都会(恵比寿ガーデンホール;弾き語り)
会場にどこから来たのか聞く。
6. ふるさと(恵比寿ガーデンホール;弾き語り)
7. 雑踏(恵比寿ガーデンホール;ストリングス)
デビューしたての頃、福岡から長崎に行く電車の中で、マンガを読んでいたら竹田さんに怒られた。プロになったん だから、この景色を見ろ、停車する駅で乗り降りする人達を見ろ。いろいろな感情のふれあいを体感すべき。ファー ストコンサートから僅か20日足らずで竹田さんは亡くなってしまった。1輪の赤いバラは今もひっそりと松山千春 を見ている
8. 足寄より(恵比寿ガーデンホール;弾き語り)
9. 君を忘れない(恵比寿ガーデンホール;弾き語り)
がきの頃の話し、父さんが新聞を子守唄代わりに読んでくれた。世の中のいろいろな出来事を知ることで、空腹感が なくなった。本当の暖かさとはあんなことだったのだろう。フォークソングもそんな自分の空腹感を埋めてくれた。
10. 俺の人生(横浜アリーナ)
11. 北の大地(12/18横浜アリーナ)
胸をはれるような自分になるには歌だった。若い奴ももがいている。何か動いてみないことには始まらない。待って いても何も来ない。プロ、アマに関係なく歌はずっと歌っていく。足寄の映像が入る。
12. 大空と大地の中で(12/18横浜アリーナ)
コンサートのMCで一番にならなくてもいいから、ONLY ONEになりなさいという話。そして千春は生まれて 死んでいく人のはかなさについて語る。1日生きると1日死が近づく。がんばればがんばるほど死が近づくのは人の 性、だから寂しい生き物。限りある人生はいつか終わる。だから俺は歌う。フォークソングは虚像ではない。実像だ 。自分を自分以上にも見せないし、卑屈にもならない。等身大の松山千春、それがフォークソング。
13. 純愛するものたちへ(横浜アリーナ)
コンサートでのMC、ガットギターと漆塗りのギターについて。漆塗りのギターは手がかぶれるので、弾かない、見せるだけ。
14. この世で一番君が好き(12/19横浜アリーナ)
コンサートでのMCでこの曲について話す。おねえさんの日記に綴られていた言葉を話していました。会場では知る由もないのですが、このとき千春は目をつぶって話していたんですね。なんかジーンと伝わってきます。
15. 途上(恵比寿ガーデンホール)
心の揺れを大事にしていた時代があった。今は物や金の動きを大事にしている。はっきりとした現象のほうがわかる 。そういったものにばかり価値を求めた。心が動くことがどれだけ価値があるのか分かっているのに。この世に生ま れて生きることはそれだけですばらしい。これは自分の原点だ。コンサートで問いかけたい。松山千春が唱えている 心動説。北海道の足寄が、両親が、そして厳しい北海道の環境が自分を育ててくれた。 コンサートでのMCになり、60,70になっても歌っている。まさに点滴を打ちながらのサバイバルコンサートと なっているかもしれない。
16. 雪化粧(12/19横浜アリーナ)

番組終了

No 2   ゆうこさんより
99年12月6日 NHK BS第二放送 「スーパーライブ:松山千春 23年目の旅立ち」

♪春夏秋冬♪で幕を開けた98年12月横浜アリーナ。
口ひげとあごひげをたくわえ、細かい白の横じまの入った黒いスーツに身を包んで、シャープな感じを漂わ せた元気いっぱいの千春。 あの日の光景が鮮やかに目の前によみがえり、思わず胸が熱くなります。

「俺、いつもコンサートで思うんだけど、とんでもない後ろの奴らもさ、同じ金払ってんだよ。 壁に張り付いて見てる奴もいるんだよな。 まあ、どんなかたちで見てもらっきょうが歌ってるようにしか見えないけどさ。(笑い) 申し訳ない。だから俺いつも言うじゃないか。 コンサート、公平にしよう。 1曲1曲な、席席替えしよう。(笑い) 1曲終わったら1番前の列は2列目に下がるんだよ。で、とんでもない後ろの席の奴は1番前に来るんだよ。 いい考え方だろ? で、可愛い子が来たら、 『ストップ!君は動かなくていい!』(笑い) (会場を指差して)『君は5段飛び!』みたいなね。 幕が開いた瞬間からね、『もう5段後ろ!』みたいな。(爆笑)」

いつもながらの軽妙なトークで会場を沸かせ、巧みなテンポで観客をぐんぐん引っ張っていきながら、千春は 時折、ふっと目を閉じ一瞬一瞬を愛しくかみ締めるような表情を見せることがあります。 それは、後ほどのインタビューで計らずも吐露してしまう、千春の心の根底にある、深く切ない思いのあらわ れなのでしょう。

ここから、懐かしい曲が続きます。

♪特のいたずら♪ 

インタビュー
Where have all the flowers gone ?
Long time passing.
Where have all the flowers gone ?
Long time ago
PPMの「花はどこへ行った」と共に、音楽との出逢いを懐かしそうに語る千春。 千春に音楽の世界の橋渡しをしたのは、5歳年上のお姉さん、昨年の春亡くなった絵里子さんでした。 絵里子さんは、まだ幼かった千春にPPMをはじめとするいわゆるアメリカのカレッジ・フォークを聞かせたのです。 「俺、それまで足寄の田舎の一少年だからさ、歌謡曲ぐらいしか知らないわけじゃないか。 それが、へえ、こんな自由な音楽があるんだって。 非常に詩的な部分があったり、哲学的な部分があったり。何だこの音楽はみたいな。 そういう感じでどんどんどんどん入り込んでいったな。 だから、最大の影響を受けたのは、やっぱり死んだ姉貴だよな。」

まだ小学生だった千春は音楽の中に、詩や哲学を見た。 子供ながらそこに、自分の中の切なさやむなしさを昇華できる場を見つけたのでしょう。 千春にとって音楽はBEATやリズムではなく、まず言葉であり、その言葉をのせる為のメロディーであったと 言えるでしょうか。だから千春がひかれていったのは、岡林信康、高田渡、加川良らの関西フォークの旗手達の歌だった。 彼らの歌から千春は、「歌は人生を語るもの」というメッセージを受け取る。 そしてその姿勢は、今もずっと変わらずに千春の音楽を貫いている。

千春は続けて語ります。 「俺の曲ってねえ、めちゃくちゃ明るいなあみたいなな、もう、どうしておまえってそんなに明るいの? みたいな曲はないんだよ。明るい曲弾いても、切ない暗~い感じになるんだよ、俺の曲って。それが、やっ ぱり俺の人生なんだろうなあ。 だから、俺、やたら滅法明るいっていう奴じゃないんだろうな、基本的には。 がきの頃からそういういろんな体験をしてきて。 楽しいんだよ、楽しいんだけど、けど、次の日また悲しいことが来るのかなあとか。 何かいつでもそういう切なさとか空しさとか、俺の根底にあるような気がするなあ。 これ、あんまり俺、そのう(カメラから少し目を外して)人に言ったことないけどさあ。」

よく分かっています。 千春の中にそういう部分があるっていうこと。 やたら滅法明るいだけの人間だったら、あんなに切ない恋の歌が書けるはずがないんですから。 でも、千春の口から直接そういう言葉を聞くと、思わずドキッとしてしまう。 「あまり人には言ったことがない」と千春も言っているように、ステージで見せるあのひとなつこい、屈託のな い笑顔を見ていると、つい忘れてしまいそうになる。 千春の心の奥底に常にそういう感情が渦巻いているっていうことを。 そして、そんな切なくむなしい人生から何か意味を引き出すために、千春は歌い続けている。

しなやかなモスグリーンのスーツ姿の千春
♪恋♪

♪旅立ち~銀の雨~季節の中で~人生の空から(メドレー)♪
 まわり道でも 人生の終わりに
 君にもう一度 逢えたならいいね

「今の当然分かったと思いますけど、4曲歌ったんですよ。間違っても、これ1曲じゃないですからね。 『あらら、1番2番3番4番全部違うねえ、変わった曲だねえ。』なんて思わないように。(笑い)」 「でも、ほんとにありがとな。特に一番後ろの席の奴。分かってるって。 俺は目は2.0なんだ。耳は1.5だし。(爆笑)」

インタビュー
「あれは高校に入学したばかりのね、足寄高校の前夜祭だよ。 3年生や2年生が一生懸命な、歌ってるわけだよ。前夜祭だから夜だよな、中庭で。 で、全校生徒がみんな集まって、それを聞いてるわけだよ。 そのうち進行係が、『1年生で誰かいませんか』って言った時に、周りの連中がさ、 『千春、お前歌えるだろ』って言うんだよ。 『おまえばっかやろう、こんな所で恥ずかしいべや。俺がなして歌わなきゃなんないのよ。』 俺はやだやだって言ったんだけど、やだやだって言ったんだけど、もう、足は向いてたな。」 そして千春が岡林信康の「私達の望むものは」をしっとりと歌い上げている時に、千春の姿を照らし出してい た中庭の裸電球が突然消えるのです。 「それで、♪私達の望むものは~♪とか歌ってるわけだからさ、 よけい自分の歌が染み入ってくるんだな。 真っ暗になっちゃったからさ。 もう、声しか残ってないわけだからな。そして歌い終わって、強烈な拍手をもらったんだよ。 ざわっとしたな。何だこの一体感はみたいなな。」

歌い手としての、千春の初めての恍惚的体験。 それは、真っ暗闇の中でした。 何も見えない、その暗闇の中で、どこまでも伸びていく千春の声。 お互いの姿は見えないけど、でも、心と心は確かに通じ合っている。 千春がよくステージで目を閉じるのは、この時の体験があまりに強烈だったからでしょう。

そして千春は竹田さんと出会います。 
 1977年1月25日 「旅立ち」でデビュー
 1977年8月 8日 北海道厚生年金会館 ファーストコンサート
ステージを明るく飾るものが欲しいと言う竹田さんのアイディアに千春は一輪の赤いバラを選びます。

99年8月 恵比寿ガーデンホール 「もうひとりのガリレオ」より

♪都会♪
千春の優しい、語りかけるような歌声。 とつとつとしたギターの爪弾き。 胸に染み入るメロディー。 竹田さんの魂もきっと聞いている、赤いバラと一緒に。

日本全国からやって来た観客に、千春は語りかけます。 「えっ、おまえ九州か。悪いね、それは。九州から出てきてこっちで働いてんのか? えっ?売られて来たって?(笑い) 今朝、出て来たって。福岡か。福岡からわざわざ出てきてくれて、どれほどうれしいかだよな。 そこに座らせとくのが、悪いみたいだよな。なんなら、ここに上がるか?(笑い)」

♪ふるさと♪
サングラスの奥の瞳を閉じて、遠い北海道の空に思いを馳せるかのように歌う千春。

帰りたいさ 今すぐにでも
それが言えずに それじゃまた
夢なら今も この胸の中
深く閉じ込めたまま
深く閉じ込めたまま

♪雑踏♪(ストリングスと共に)
ギターを傍らに置き、膝の所で軽く両手を組みながら歌う。 途中からマイクを手にして、朗々と歌い上げる千春。

振りかえれば 胸を張れることなどないけど
やっぱり決めたままに 生きていこうと思います

インタビュー
「福岡から長崎へ行く時、デビューしたばかりの頃、キャンペーンみたいなかたちで行ったんだよ。ラジオ局のディレクターだった竹田さんも一緒について来てくれて。 列車の中で俺、漫画の本読んでたんだ。 そしたら、竹田さんに怒られてさ。 『お前、何やってんだ。お前プロになったんだぞ。こうやってな、北海道の人間が九州に来られるのもな、プ ロになったから来れたんだろ。そしたらな、一分一秒でも無駄にするな。この景色を見ておけ、この窓の外の な、景色を見ておけ。止まった駅でな、どんな人が降りて、どんな人が乗ってくるのかしっかり見ておけ。』っ て怒られてさあ。そうだよなあ。 せっかくこうやって、いろんな所へ行けるんだから、いろんな人とで出会って、いろんな物を見て、いろんな感 情のふれあい、そういうものを体験するべきだな。 それはもう、竹田さんから受けた一番大きな影響かもしれんなあ。」

「人生は旅だ」と千春は言います。 でもそれは、例えば、漫画を読んでいる間に、仕事や勉強や、また日々の煩わしさの中で知らず知らず過ぎ 去って行ってしまう、そんな危ういはかなさを持っています。 だからこそ、千春は、寄り道やまわり道をしながら、人との出逢いや別れ、喜びや悲しみ、苦しみ、切なさ、 はかなさや空しささえも、どこまでも自分の体験として抱きしめていこうとする。 そしてそんな千春の生き方の原点を形作ったのが、竹田さんとの出逢いだったのでしょう。

1977年8月27日
千春のファーストコンサートからわずか20日足らずで、竹田さんは亡くなってしまいます。

コンサートのステージで、千春に寄り添うようにして咲く一輪の赤いバラ。 竹田さんに見守られながら、千春のたび人生は続きます。

♪足寄より♪
♪君を忘れない♪

1995年 千春のお父さんの明さんが81歳で亡くなります。

インタビュー…
「うちの親父は小さなローカルの新聞を作ってて、ほとんど収入もなく、お袋が働きながら頑張ってた。で、お 袋はだいたい家にいなくて、いつも、親父と俺と死んだ姉貴と弟と、いつもこの4人で寝るんだけど、親父が 寝る前にいつも新聞を読んでくれるんだよ。 腹減ってんだぜ。暖房もないから寒いしさあ。ところが親父が毎日新聞を読んでくれることによってさ、空腹感がおさまるんだよな、寒さが暖かくなるんだよな。 それと同じ部分がフォークソングにはある。 自分の貧しい生活がが満たされていく、そういった部分がフォークソングにはあったよな。」 「どれだけ立派なパジャマを着て、立派な羽毛布団にくるまって、暖かい部屋で寝ても、心の寒い人は寒い だろう。 ほんとにせんべい布団でだよ、暖房もほとんどなく、あの北海道の厳しい冬でだよ、 親父が世界や日本の 出来事を読んでくれるそれが、何よりも暖かかったもんな。 今、43になって、正直言って、ああいう暖かさを自分は人に与えることができるんだろうかって思う。」

千春、貴方のステージを見て、貴方の歌を聞き、貴方の言葉に耳を傾けることによって、 どれほど励まされ、どれほど心の中が暖かくなったことか。 千春の人間に対する暖かい目は、幼い頃の、こうしたお父さんとの体験の中で育まれてきたのですね。

再び 横浜アリーナへ 

♪俺の人生♪
♪北の大地♪

人生はつかの間の 夢よ幻よ
いさぎよく 美しく
そして さよならと

人生はつかの間の 夢よ幻よ
くよくよと考えて
それじゃ さよならと 

インタビュー
「貧しくても胸を張れるような生き方をしたかった。親父がそうだったし。そうやって考えたら、たまたま歌だったんだな。 今の中学生や高校生、彼らが髪を染めたりだぞ、化粧をしたりだぞ、それとかいろんな恰好したりするの は、やつらも迷ってるんだろうな。 自分が何者なのか、何をやりたいのか、何ができるのか。 けど、それ見つける為には、自分で動いてみなきゃ駄目だ。ただ、髪染めて待ってるだけじゃな、自分の 力が最高に発揮できるものとはなかなか向き合うことができないぜ。 自分がそういう思いしてきただけにな、今の連中にはそういう思いがあるな。」

人生は旅だ。だから、知らぬうちに通り過ぎてしまってはいけない。 自分の目で見て、自分の手で触れて、自分の体で感じて、そうして人生の中から何かをつかみとれと、 千春は言っているのでしょう。

「歌はプロアマ関係なく、一生歌って行くんだろうな。 俺にとってはもう、涙もため息も笑いも、全部歌と一緒になっちゃうんだ。」 少し前の「風にのせて」で、千春は「ステージはビジネスではない。My Lifeなんだ」って言ってましたね。

♪大空と大地の中で♪
「Number Oneにならなくていいから、Only Oneになりなさい。「ただあなただけ」になりなさい。あなた以外にあなたはいないんだから。」

自分がかけがえのない存在であることを実感し、ありのままの自分をありのままに受け入れ、そして肯定していくことができたら。それができたら、どれほど多くの人が救われることか。 「生まれて死んでいくんだよなあ。 一日迎えるごとに、一日死に近づいていくんだよな。これ、人間のさがなんだよな。 だからこそ人間は、悲しい、寂しい動物だと思うんだ。 これが永遠の命だったら、俺、歌う必要ないと思うんだ。 限りがあるからこそ、かけがえのない動物だったりする。 俺の、あなたの人生が、いつかどこかで終わるということを知りながら、 人を好きになったりだぞ、優しくしてみたりだぞ、けんかしたりだぞ。 いつか終わるの分かってるんだぞ、分かってるんだけど生きるんだぞ。 こんな悲しいことないじゃないか。だから俺は悲しいですとも歌うし、空しいですとも歌うし、 悲しいからこ そ、愛しいですとも歌うんだ。 それが歌の原点だと思うんだ。」

千春は言います。
「人間は、みんないつか死ななきゃならない。 それが分かっているのに、人を愛してしまう。 だから、人間は悲しい、切ない動物だ」と。限りある人生、限りある命。 だからこそ、千春はたくさんの人と出逢い、恋をして、そして、歌いつづける。 自分が、今確かにこの瞬間を生きている、その証しに。 人生がはかない、空しいものであればあるだけ、 風のように翔けぬけ、二度と戻らないこの時を精一杯生きようとする。 たとえその生が死に向かう一本道であっても。

第2時大戦下、ユダヤ人として強制収容所の過酷な生活を生きぬいたオーストリアの心理学者であり、精神科医であるフランクルは、次のように言っています。 「無から来て、無へと行くにもかかわらず、自らの現存在を肯定する」ところに、つまり、自分はいずれはか なく消えていく存在であると知りながら、それでもなお人生を肯定するところに、「人間の偉大さがある」と。人生ははかなく、切ない。 だからこそ、千春は歌う。

例えば、「俺の人生」

 たとえ空を漂う浮雲にも似たような
俺の人生 このまま終わりにゃしない
たとえ海を漂う流木にも似たような
俺の人生 このまま終わりにゃしない

と同時に、もう一方でこう歌う千春がいる。

 淡々と 淡々と 毎日を
 淡々と 淡々と 生きていく
そんな私でありたいと 
いつも思っているのです

 淡々と 淡々と 穏やかに
 淡々と 淡々と 死んでいく
 そんな私でありたいと
 いつも思っているのです

自分の人生を何とかしたいともがきながらも、毎日、淡々と生きていたいと思う。 人生がはかなく空しいからこそ、そんな風に葛藤する千春が見えるような気がしました。

続けて、千春にとってフォークソングとは何かを熱っぽくを語ります。

「フォークソングは、いろいろ飾り付けたり、見栄を張ったり、虚像ではないんだ。 あくまで実像なんだよ。 俺は、これだけの人間です。 これだけの道を歩いてきました。 そして今、ここにいます。 そういう実像の音楽がフォークソングなんだよ。 だから俺は、自分を自分以上に見せたいとは思わないし、お客さんに対して卑屈になったりもしない。あく までも等身大の松山千春というものを歌っていくつもりだし、それがフォークソングなんだよ。」

♪純~愛するものたちへ♪
千春大熱唱!

「今日はちょっと俺もギターを弾いてみるから」と言って、ギターを手にすると、 「これはクラシックのギターだから、ナイロン弦だから音がちょっと柔らかい。」 と、おもむろに傍らに立て掛けてあるギターを指して、 「これ、総漆塗りだから。すごいべ。でもこっちは弾かないから。漆塗りでできてるから、弾いてるうちに手が かぶれるから。(笑い) じゃ、何で持って来たかって?見せたかった。(笑い)」

♪この世で一番君が好き♪
「死んでいく姉貴の為に、弟として何かしてやりたかった。」 千春がそんな思いで作ったこの歌。 亡くなった絵里子さんの思い出を、目を閉じて話す千春。 亡くなる直前まで絵里子さんがつけていた日記には、たくさんの人達に対する感謝の言葉が綴られていたそうです。
「千春、ありがとう。 明人、ありがとう。 たけちゃん、ありがとう。 そしてたくさんの友達の名前。 父さん、母さん、生んでくれてありがとう。 光里、生まれてきてくれてありがとう。 お前が生まれて来てくれたからこそ、母さんこんなに頑張れた。 それがあいつの最後の言葉だった。」 そう語る千春の目頭にうっすらと涙がにじんでいました。

「俺もいつかくたばると思うけど、その前に1曲でも多くの愛の歌を書きたい。 それは、親子の愛だったり、兄弟の愛だったり、男と女の愛だったり、海や山、風に対して愛情を感じること もあるかもしれない。何でもいい。この世に生まれて感じた愛情を、1曲でも多く曲にしたい。お前たちが期 待するような売れる曲は書けないかもしれない。カラオケで口ずさめるような曲は書けないかもしれない。た だこれだけは言える。この世に生まれてたまらなく感じた愛情を1曲1曲歌っていきたいと思います。」

再び恵比寿ガーデンホールへ戻って、
「もうひとりのガリレオ」最終日最終曲 

♪途上♪

静かに過ぎる今日という日が
どれほど大事な一日なのか
眠れぬままに朝を迎えた
あなたに優しく語りかける

どうか どうか 振り向かないで
思いのままに歩いて欲しい
あなたの道を

「心の動きよりも物の動き、人の動き、金の動き。 それは現象としてはっきり分かるからなあ。心の動きは分からんからなあ。 そういうものに価値を見出せなくなってしまった、目に見えるものにしか価値を求めなくなってしまった、そういう日本人が今この平成の時代に訳が分からなくなってしまったんだな。 心が動くことがどんなに大切か分かっているのに、みんな分かってるくせにな、 自分だけそんなことをした ら損をする、時代から取り残される、そんな思いなんだろうなあ。 俺の原点なんだけど、どんなみすぼらしい恰好であろうが、どんな粗末なものであろうが、どんなかたちであろうが、この世に生まれて生きるということは、何も恥ずかしいことじゃない、素晴らしいことじゃないか。 それを一人一人コンサートで問いかけて、俺の歌で心が動いてくれれば。 俺もガリレオと同じみたいに牢獄に入れられても、歌って看守の心でも動かそうかな。」

そして、自分の原点は両親であり、北海道の自然であると。 それらによって自分はほんとにいい育てられ方をされたと語る千春。

「俺は冗談抜きに60になっても、70になっても歌ってるからさあ、最後はサバイバルコンサートだよな。(笑 い) 歌ってる奴が先に行くか、聞いてる奴が先かにか行くかみたいなな。
今日も点滴してるかあ?みたいなな。(爆笑) でも、そんな中でも俺は歌ってたいよ、そしてまた、みんなと逢えたらうれしいと思います。元気で。また来年コンサートやっていきたいと思います。」

横浜アリーナ最終日最終曲

♪雪化粧♪
 
松山千春さんのファンの方のブログより転載

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