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テレビ朝日系「徹子の部屋」出演。04.02

とかち新聞 昭和59年2月25日発行 919号より

主筆の室より・・・
昨年の春のコンサートは、バックバンドを減らして、千春のギターを活かして、中小都市をまわりましたが、今年の春は逆に大都市を中心に13ヶ所となりました。公演回数も少なくし、5月からのスタートというのも初めてです。かねてから交際中だった孝子さんと、江別市の実家で2月3日に結納式を挙げました。式場は孝子さんの自室、献上台に当方から持参の七品結納を飾り、正面に媒酌人の山本社長夫妻、左側に孝子さんとご両親、右側に千春と両親が席に着いて向かい合い、媒酌人のあいさつ、両家の挨拶があって、別室で祝宴に入りました。
松山千春と言う人・・・1月1日夜、足寄町の喫茶店「カトレア」。ドアを開けると音も無く粉雪の舞う戸外とは打って変わって、若い男女の明るい笑い声が飛び込んできた。カウンター前から一段高く華やいだ声が聞こえる。女の子達を笑わせる主が”主人公”松山千春君である。「あれー?山本さんじゃないの」素っ頓狂な声に言葉が出ずに居ると「どうしてここに?何しにきたの、オレに会いにきたって?ウソだろう?何の用事さ」立て続けに問いかけてくる。千春君が驚くのも無理は無い。足寄行きは抜き打ちだったのである。ファン同様、彼が年末年始を足寄で過ごすことは私も知っていた。足寄にさえ行けば会えるだろう。
ファンと同じ心境で汽車に乗ったのだった。

元旦の夜、喫茶店で3時間余りもしゃべった途中、衆議院に当選したばかりの鈴木宗男氏も顔を見せたり、夕食とも夜食ともつかないカツ定食を食べながら「あの時は」「この時は」から始まった。

千春がフォークシンガーの登竜門「フォーク音楽祭道大会」、「NHK軽音楽オーディション」に落ちたことは、今更いうことでもないが、いずれも私はその場に居た。とにかく彼は目立った。ニッカボッカをはいた土方スタイルとは正反対に、その歌は女言葉で高音が綺麗だった。この時の曲はデビュー曲になった♪旅立ち。道大会が済んだ数日後、私は担当のSTV竹田健二ディレクターに会った。なぜ彼が落ちたかを知りたかった。

私の話を黙って聞いていた竹田ディレクターが、おもむろに言った。「山本さん、少し見ててくださいよ、考えてることがあるから」。千春がラジオに出るようになったのは、その数ヵ月後。彼の乱暴とも思える率直な語りが急激にヤングのハートをとらえていったのは承知のこと。その翌年から私は、フォーク音楽祭をはじめ、幾つかのフォークコンテストの審査員を務めることになったが、千春君に似たムードを持った人は、意識的に外した。千春タイプが急に増えたからでもあった。

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