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コンサート・ツアー「時代をこえて」スタート。(全国40公演)03.27

■セットリスト 
1981年6月28日(日) 日比谷野外大音楽堂(東京二日目) 最終日
大いなる愛よ夢よ(弾き語り)
夜明け(弾き語り)
人生の空から(弾き語り)
ふるさと(弾き語り)
おいら (弾き語り)
海を見つめて(弾き語り)

—休憩—

夢をのせて
・メンバー紹介「愛 LOVE」
青春Ⅱ
貴方のことで
ダーリン


限りある命
長い夜

アンコール

浜辺
うぬぼれ
長い夜

アンコール

季節の中で
長い夜

3月27日(金)室蘭市文化センター
3月28日(土)浦河町スポーツセンター
3月30日(月)小樽市民会館

4月07日(火)茨城県民文化センター  
4月08日(木)宇都宮文化会館

4月11日(土)愛知:体育館(全国フォーク音楽祭・地区大会ゲスト)

4月13日(月)岡山市民会館  
4月14日(火)島根県民ホール
4月16日(木)山梨県民会館  
4月21日(火)群馬県民会館

4月23日(木)鹿児島県文化センター  
4月30日(木)熊本市民会館 
5月01日(金)長崎市公会堂
5月06日(水)静岡市民文化会館  
5月07日(木)豊橋勤労福祉会館  
5月09日(土)伊勢市観光文化会館
5月12日(火)高槻市民会館
5月14日(木)神戸国際会館 
5月15日(金)和歌山県民文化会館
5月18日(月)帯広市民会館  
5月19日(火)滝川市スポーツセンター  
5月21日(木)千歳スポーツセンター

5月22日(金)高知県民文化ホール  
5月28日(木)徳島文化センター  
5月30日(土)観音寺市民会館
*閉館(新市民会館 平成28年開館予定)

5月31日(日)高松市民会館
6月04日(木)八戸市公会堂  
6月05日(金)岩手県民会館  
6月07日(日)福島県文化センター  
6月08日(月)山形県民会館

6月10日(水)福井市文化会館  
6月11日(木)富山市公会堂(終演後 TBS『ザ・ベストテン』生中継で出演)

6月12日(金)日本武道館(全国フォーク音楽祭・決勝大会ゲスト)

6月14日(日)長野市民会館
6月16日(火)奈良文化会館
6月18日(木)大分文化会館
6月19日(金)小倉市民会館

6月22日(月)北見市民会館  
6月23日(火)網走市民会館  
6月25日(木)稚内市体育館

6月27日(土)日比谷野外大音楽堂
6月28日(日)日比谷野外大音楽堂

初・千春コンサートの思い出              by harry  神奈川県  04. 3. 11
私の「初・千春コンサート」は、1981年春ツアー「時代をこえて」の5公演目、4月8日の宇都宮市文化会館(当時栃木在住)でした。

当時関東エリアを担当していたイベンターは、この日の公演チケットを栃木県内のローカル・イベンターに販売委託しました。「日曜日の朝10時からイベンターが入居しているビルの前で発売する」という、今では到底考えられない、チャレンジングな発売方法でした。徹夜組や始発電車組(私を含む)が、300mくらいの行列をつくりましたが、案の定、8時頃からビルの逆方向にも長蛇の列がドンドン伸びていきました。

そして迎えた朝10時!東軍、西軍が激突しました。当然もみ合いになり大混乱。ほどなくパトカーがサイレンをならしてやってきました。若い警官が5~6人でバリケードを作り、年配のおまわりさんが、拡声器を使って叫びはじめました。

「千春さんのファンのみんなはー、お行儀がいいんだっぺっから、おじさんの言うこと、よーーく聞いてくれっぺなーーー?」
「は~~~~~~い!」
「じゃ、おじさんが軽~くあたまを叩いたお友だちから順番に切符買いに行くんだぞーー!」
「は~~~~~~い!!」

こ~んな感じで、どんどんチケットが売られ、Getしたファンは、勝ち誇ったように顔をニアニアさせーの、チケットを読んでいた本などにさりげなくはさみこみながらチラっと見せーの状態。それを羨望と不安な目つきで見つめるまだ列の人々(私を含む)。

約40分後、私たち坊主アタマ男子2名は、いまや警官がもう目の前になるほど前に進みました。しかしなんと!身を寄せ合って一緒に並んでたタカシ君だけがアタマをたたかれました。(えぇーーーい! 火事場の馬鹿力だぁ~!!)と私もたたかれたふりをして、強引に警官のバリケードを突破。なんとか二人は、ギリギリでチケットを買うことができました。ホーーーッとして歩道に座り込んでいると、非情なイベンターの声が聞こえてきました。

「ここで完売でーーす!!」

一瞬の静寂があり、そして地鳴りのような怒声。

「ええぇぇぇーーーーーーー!!!!!!」
「きゃ~~~~!!!!!!」
「なんでだよーーーー!!!!」

この日のチケット狂争曲の様子は、千春さんにもすぐに伝わったようで、直後の「オールナイト・ニッポン」の冒頭で、こんなようなことを言ってました。

「栃木の連中がねぇ 元気なのが、俺はよーーくわかった!
ダ~メだってぇ 若いうちから警察のやっかいになっちゃー 笑」

コンサート当日は、新学期の始業式の日だったので、坊主アタマの田舎もん男子2名は、午後3時ごろに、気合い十分で宇都宮市文化会館の敷地に足を踏み入れました。す、すると黒いタクシーが後ろから通り過ぎ、楽屋入口の前に止まりました。と同時に、「きゃ~~~~!! ちはるぅ~~~」という黄色い歓声が聞こえたので、全速力で走りに走りました。

その人は、角張ったレイバンのサングラスをかけ、女子から差し出された、5、6本の「一輪のバラ」を片手でさ~~~~っとリズム感よく受け取って行きました。そして、扉の向こうに消える前、一瞬振り向きニヤリと笑い、白い歯がこぼれると、またもや女子は、「きゃ~~~~!!!」

そんなこんなでようやく開演。3階席は崖の上に座っているようで、余計に心臓バクバク・・・。2ベルのあと、さざなみの効果音が聴こえてきて、オープニングは、やはりスーパー・アダマスによる弾き語り、「海を見つめて」でした。

伝説の日比谷野音、そのオープニングは・・・ by harry 神奈川県   03. 5. 8

『大いなる愛よ夢よ』の弾き語りからはじまった1981.6.28の日比谷野外音楽堂。
5時半きっかりに、千春さんはステージにひとりでなにげなく現れました。
野外ステージということで幕はないため、千春さんが現れたとき、初めに気づいた人はステージに向かって右側のごく一部の人たちだけでした。その人たちがまず拍手をして、「何事か?」と驚いた人たちが「千春登場」を知って波動的に拍手を送ったのでした。
この一瞬の出来事は、ライブCDボックス「O・I・RA」のDISK3を特にヘッドフォンでお聴きいただくとハッキリとわかります。ヘッドフォンの右から左へ「拍手の波」がサーっと広がってゆくのです。
そして今でも絶大な人気のオベーション・スーパーアダマスがかき鳴らされ、いきなりサビから・・・。このときは未発表曲で、ある音楽雑誌には『白い雲に乗り(仮題)』と掲載されていました。

フリー・コラム~千春さんを語ろう!より転載

とかち新聞 昭和56年1月25日発行 882号より

主筆の室より・・・
とかち新聞を創刊したのは昭和29年12月で、千春の生まれる1年前で、足寄町を中心に両隣の本別町と陸別町の三町を取材範囲とするローカル新聞でした。

以前はガリ版の新聞でしたが、昭和36年6月に中古の印刷機械を取り入れました。この印刷機械を札幌に取りに行く時は、当時6年生の絵里子と1年生の千春を連れて行きました。汽車に乗り、旅館に泊まる事は二人にとって珍しく楽しかったようです。

活版印刷になった事によって、ガリ版印刷よりもテマヒマがかかり、活版の仕事は朝の4時から夜の10時ころまでかかりました。千春が高校を卒業して、運転免許を取ってきてから、外回りの仕事を手伝ってくれて、少しは楽になったものの、まもなくシンガーソングライターとしてデビューしてしまって、自宅を訪れるファンの対応に追われる事になり、ローカル記事の取材が困難になり、ファン対象の新聞に切り替えざるを得なかったのです。

暮れのテレビを無事に放送して、30日深夜に車を飛ばして帰宅。待ち構えていた、鈴木、阿部、佐藤の3名とともに年末年始を楽しく過ごしました。

とかち新聞 昭和56年2月25日発行 883号より

『千春の人気の秘密』富沢一誠氏が、故郷を離れず、フォークを大切にする歌手『松山千春』について、今まさに『スーパースター』だと評価している。

『俺の音楽人生』と題し、アナウンサーとのQ&A。その中で中学の時に、オリジナル曲を作ってみたくなり、反戦歌風の曲を作ったのだが、メロディーは覚えているが歌詞を忘れてしまったらしい。

さだまさし『わが交遊録』より・・・
さだまさしと谷村新司はアデランスブラザース(若ハゲ同好会)で、松山千春をドラフト一位で指名しよう!と言う話や、さだまさしが、オールナイトニッポンのゲストに来た時に、ハゲカマキリ(さだまさし) 対 ハゲペンギン(松山千春)のトークバトルが楽しかった。さだまさしのアダ名がカマキリに対し、千春は短足だからペンギン、それに”ハゲ”を付けたというわけである。こういう二人の仲を観察し、コンサートでブチまける悪趣味な友達が中島みゆきである。

まさし・みゆき・千春の3人で焼肉を食べに行った時の話で、千春が、『まさし、ワカメスープとワカメサラダを食べよう』と言った。二人仲良くそれを頼み食べたのだが、みゆきは後日その事を自分のコンサートで話したらしく、まさしと千春の元に、ワカメのプレゼントが殺到したとの事。

昭和56年3月25日発行 884号

三橋一夫氏の『松山千春論』。『起承転結』、『浪漫』、『木枯らしに抱かれて』は、初登場と同時に一位を占めたのは、前例がない。CHIHARU25TAKEOFFについての、読者の声。

主筆の室より・・・
2月中旬、東京でのレコーディング見学に訪れた。千春と山本社長が納得するまで、何度もやり直しが続けられ、やっとOKとなったテープを、ロスへ持って行き、仕上げるという。当日スタジオには、シングルのジャケットを担当する事になったおすぎさんも駆けつけていた。

とかち新聞 昭和56年4月25日発行 885号より

『オールナイトニッポン』終了と、新たに『今夜は決めよう』のスタート、そしてCM『ミズノ・ラッセル』出演について。ツアー『時代をこえて』のツアーレポート。一部は弾き語りで、二部はハンドマイクで・・・

主筆の室より・・・
春のコンサート三日目の小樽市民会館へ出かけた。コンサートが終わり、夜はススキノでスタッフ全員と打ち上げ。ホテルに戻ったのが午前三時。この頃、千春は市内にマンションを借りていたが、そこは荷物置き場と家族が出てきた時に利用するだけだった。宿泊先はホテルで、その部屋に録音機とマイクを持ち込み曲作りをしていた。翌日は久しぶりにマンションへ行き、千春手製の『なべやきうどん』をご馳走になった。味は北見時代の腕とは変わっていなかった。

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